2019/07/29

最近これ読むのが好きです。

やっと梅雨明けしましたね。
相変わらずむしむししていますが、梅雨明けですか。
昨年の今頃は猛暑で、エアコンが壊れ大騒動だった。
今年は梅雨寒で、先週頃からようやく暑さが始まりました。
これでようやく梅が干せますな。

私が最近楽しんで読んでいるサイトがありまして
それをちょっとご紹介しようかと思いますわ。
大好きな大好きな小泉武夫先生のサイトですわ。
丸ごと小泉武夫食マガジン
発酵学の方ね。福島の酒蔵のお生まれで・・・
ご興味のある方は調べてね。
小泉先生、頻繁にいろいろなレシピを紹介してくださるのですが
まぁどれもこれもやってみたいものばかり。
実際やったものもいくつかあります。
納豆大好き、酒かす大好き、麹も大好きの私ですので
ここで紹介しているあらゆるレシピを読むだけで
もうわけわからないくらい興奮してしまう。
20年以上日経新聞の夕刊に週1回連載されている
「食あれば楽あり」もほぼ欠かさず読んでいて
講演もチャンスあれば聞きにいくくらい大ファンなものだから、
いつも「武夫ちゃん、武夫ちゃん」と呼んでいる(失礼!)
(おっ、亡くなった父と同じ名前だった!)
こちらのマガジンの存在はずっと知らなくて
つい3か月ほど前に知りました。
以来毎回チェックです。
いろいろなもの、ちょっとご自身で作りたい方、必見です。

2019/07/27

エトセトラ・エトセトラ

ミュージカルっ子だったのを再認識しました、私。
『王様と私』観にいってきましたよ。
すばらしかったですわ。
すべての演者さん最高でした。
渡辺謙うますぎ、存在感大きく。
アンナ演じるケリーオハラの透き通る声
チャン夫人、タプティム、ルンタの歌声もすばらしかった。

Overtureだけで涙がウルウルしてしまいましたわ。
『My Fair Lady』もこの『The King & I』もですが
序曲が全編で使われる曲をつなげたものでできてる。
だからそれを聞くだけで、いろいろ思い出されて
自然に涙が出てきてしまった。

『王様と私』は映画をテレビでしか見たことなかったと思います。
私の中でこの映画が大きな存在だったとは思わない。
West Side Story やSound of Music、Singin' in the rainほど
何回も何回も観ていない。DVDも持っていないし。
でもレコードは買っていましたから良く聞いてました。

85年に王様を演じているユル・ブリナーが
ご自身の余命を知ったうえで舞台に立っているということをなにかで知り、
アメリカまで観にいきたいと本気で思いました。
そして30年経て、渡辺謙が王様を演じるというニュースで
再びニューヨークまで観にいきたいと真剣に思い、
いろいろ調べて「行きたい、観たい」と触れ回ったのだろうな。

私の長老の生徒Mさんがある日
「先生、ちょっとうちにいらしてください」
なんだろうとお伺いすると私より3つ年下のお嬢様がおられ
「ちょうどニューヨークに住んでいる娘が帰ってきているので
 ご紹介しておこうと思いまして。
 先生ニューヨーク行きたいとおっしゃっていたでしょう? 
 なにかの時にお手伝いできると思いましてね」
How lovely!!
結局ブロードウェイまで行くことなく、
このすばらしいミュージカルを観ることができました。

この作品は、ダンスシーンがあまりないミュージカルなのですね。
F.アステアの華麗なステップやG.ケリーのタップのような。
ストーリー性の良さと楽曲の良さが際立つ作品と思います。
あっ、でも劇中劇の「アンクルトムの小屋」の踊りは素晴らしかった。
これは映画でもすごくよくできてるシーンと思っていましたが
今回あらためて観て、ここが最高良かったと思っていますわ。

getting to know youで、夫人がアンナとシンクロして踊るシーン
映画ではアンナの揺れるスカートが夫人にはないからと
子どもたちがその代わりになってあげたというのがあったと思うけれど、
それが今回はなかったのがちょっとさびしい。
あと、有名なShall we dance?のシーンは
もうちょっと長くやってほしかったなぁ。
ユル・ブリナーみたいにデボラ・カーを投げ飛ばしそうなくらい
もうちょっとがんがんと長く踊ってほしかった。
そんなにグルグルまわって踊ったら疲れちゃうか。

個人的に好きな曲はやはりHello young lovers,We kiss in a shadow
そしてSomething wonderful 泣けたぁ~、泣いたぁ~。

感想いろいろありますがエトセトラ・エトセトラ
あっ、この「エトセトラ」という単語を覚えたのは
この映画でしたっけ。
しかし、子どものころに覚えた歌って
こうして何年たっても覚えてるのね。
歌えてしまって驚いてしまいました。

2019/07/10

横断

昨日運転中に遭遇した2つの(二人の)横断。
その1 私道のようなところから本通りに入る場所。
そこは歩道があるので、私は歩道の手前で停車します。
本通りはすぐ先の信号が青でしたから、
ビュンビュンとまで言わないけれど頻繁に車が通る。
だからしばらくは歩道より下がって停車し
歩道を歩く人に行ってもらうわけですね。
そこへ学校帰りの小学生の男の子一人が来る(高学年と思える)
私はジェスチャーで(どうぞ通って)とするのだけれど
その男の子のほうが(どうぞ)、いやどちらかというと
(そっちが先に行け!)くらいの勢いのジェスチャーでしたな。
しかしこちらは出られる状況でないのですね、車来るから。
すると4~5人の女の子がやってきた。
また私が(どうぞ)。彼女たちは素直に前を通ってくれた。
しかし先の男の子は行ってくれないのだ。
私は彼のことにも注意を払ってはいるけれど
自分が出るタイミングを見ているわけで
そんなことこの子だって私の視線や注意の先が
彼でなく車道に向けらていることわかるだろうに。
再び私は彼に視線を戻し(どうぞ)とやったのだが
彼のジェスチャーはエスカレートし
(だから先におばちゃんが出ろってボク言ってるだろ!
 ずっとボクがゆずっているじゃないか!)
くらいになってしまった。
そのうち車が出せるタイミングになったので
私がお先に出させていただきましたが、
運転しながら、あの男の子は学校でどんななのだろう
キレやすい子なのか、状況がつかめないのか
この先どんな大人になるのかな、などなど
いろいろ思ってしまいました。

その2 そのあとちょっと先のほうを
少し足が悪いのだろう、杖を軽くつきながら
横断歩道のないところを左から渡り始めた老女あり。
まだ私の車との距離はあるから、彼女も
もちろん私も渡りきれないとは思っていない。
それが歩いておられるのにいっこうに前進してないように見える。
だんだん近づいてきて、はは~ん。
このおばあ様、道に対して直角に横断しておらず
右斜めの方向に歩いていたのだな。
つまり私の車に向かって歩いているようなもの。
だからあまり前進しているように見えなかったのだ。
その道はセンターライン(白線)があるそれなりに広い道。
私の方向に向かって歩いているということは
センターラインすぎれば、今度は車は背中から来るわけで
歩くご本人はちょっと確認がとれませんな。
幸い反対車線は車がまったく来てなかったのでよかったですが
おみ足もお悪いのに、斜め横断危ないです。
自分も行く道、気をつけよっ。

2019/07/05

ハワイ島 その6

総まとめとしますけれど、
その1・その2で書いたようにハワイ島へ行く目的は
土地をどうするかを考えていくために実情をこの目で見ること。
現地に誰か知り合いを作ることでした。
その土地の人々がこの先どうなると考えているか知りたかった。
いろいろなことを自分で見て、直に触れ、感じたかった。
更にもし将来的に処分すると決めたときには
どうすればいいかも知りたかった。
これらをできるだけたくさん持ち帰り
今後のことを考えたいと思ったのでした。
「でも知り合いを作るのはむずかしいかな」
と思って日本をあとにしました。

肌で感じた大きな発見は
天災がおきたときの住民の考え方が
私たち日本人とは大きく違うということでした。

日本人はこういう時、行政が復旧を先導するのが当たり前。
行政がしてくれるのを当然と考えます。
ですから、なかなか行われなければ
私たちは「何もしてくれない」「何もなされないまま」
という思いを強くしますけれど
ハワイ島の人たちは、あっ、少なくとも
レイラニの人々は自分主導でした。
もともと水道は引かれていません。
広大な自分の土地に大きなタンクを持ち
雨水を貯めて動力を使って自分の家へ引く。
電気は来ていますが、自家発電も備えています。

今回の噴火で溶岩で埋まったであろう道
私が行ったエリアで2か所通れるようになっていました。
1か所はほんの数100メートルあるかという短い長さ
そこは公のエリアの道でした。
だから州など公共機関が通れるようにしたと思います。
もう1か所は私の土地のある分譲地のエリア。
こちらはだれが通れるようにしたかはわかりません。

今回Krisさんから聞いた話のひとつ。
自分の土地が覆われたけれど、
お隣だかどなたかの土地に道を作ってもらえれば
その方は家に行かれるからそこに道を作ってくれという話。
でも「自分の土地に絶対道は作らせない」
とそのお隣さんは銃まで持ち出す始末。
レイラニ町内会のプレジデントであるKrisさんは
連日対応におわれたと言いました。
まぁこれはご近所トラブルの域ではありますが
自分の土地へアクセスするために道を確保するのは
まず自分でやると考えるのです。

80年代に溶岩で覆われた土地(カラパナというエリア)
基本何も復旧されていませんでした。
しかしそこに土地を持っている人は(もちろん数件)
家の側まで車でアクセスできないにもかかわらず
なんとその溶岩の上に家を建てて生活していました。
それ以上に驚いたのは、レイラニ分譲地の中で
早速家を建て始めていたのを見たのです。
これには本当に驚きました。

到着した翌日、ホストが
「三七子、今から土地があったところを見に行くのだね。
 見ておいで。でも見るだけで入ってはいけないよ。
 なぜならその土地は誰かの土地だから」
と言われました。

さぁ、皆さん、このホストの言葉、今一瞬どう感じましたか?

私はなんとなくわかったようなわからないような気持だったと思います。
たとえば「危険だから入ってはいけないよ」
と言われればすんなり「そうですね」ですが
彼の言うことが「ふん、まぁそうだけど・・・どういうこと?」
みたいに感じました。

その日一日車を走らせて、
80年代に溶岩に埋まったからカラパナを見て、
昨年の私たちの土地を見て、実際に建築中の家を見て
後日Krisさんを交えて話を聞いて、
(B&Bのお隣さんの奥さんが日本人で通訳に来てくださった!)
「そこは誰かの土地だから」という感覚を私は理解しました。

ということはつまり、私の土地は
私が主導で考えていかねばならないということに
他ならないということです。
日本人的感覚で数年すれば道ができているのではないか、
などと思えるほど溶岩の原野は半端ではありませんでした。
私にはどうすることもできないということが
はっきりとわかったし、また数年でどうこうというレベルでなく
相続すべき子どもがいない私は
近い将来に私自身がどうするかを決断しなくてはならない
ということがはっきりしたことでもありました。

こんなこと現地に行かなければわからなかったのか
とも思われる方もいるかもしれません。
でも私自身が心底納得できるものを得たかったのでした。

それ以外にもいろいろ考える材料を
ハワイ島は私に与えてくれました。

20年前にこの地に来て、レイラニとヒロが気に入りました。
夫と「20年くらい後に家が建てられたらいいね」と
その時後にし、ハワイ島の地図と
Sigさん(ハワイアンテキスタイルデザイナー)の
アロハを夫の伯父様におみやげとして買い
私たちはテーブルクロス用の布地を買いました。

20年の日本の、というか私たちの生活する首都圏の
時間・空間の煩雑さとハワイ島の流れ。
私はこの20年、どんな風に生活してきたのだろう、
何を大切にし、何をやりたくて生きてきたのか。
そしてこれからどんな感覚で残りの人生を生きたいか。
結果的にはそんなことにまで思いを及ばせるものが
この1週間のハワイ島滞在でした。

まだまだいろいろありますが
ハワイ島のお話はこれでおしまい。
お土産は今回もSigさんの、でも自分たち用ワンピースとアロハ。
でも今一番買ってきてよかったなぁと思っているのは
使うことそうないと思いますがHawaiian Dictionary


帰る日の前日、突然ベッドの中で「辞書買ってこっ!」と思い
20年前と同じ、地図を買った本屋さんへ行き購入。

自分への誕生日プレゼントは
自分の土地が上空から見ることができる
ヘリコプターツアーとワイピオ渓谷ツアー。
はいはい、だから観光もしましたよ。

2019/07/03

カラスから栗をもらう

木の枝に残ったメスレを動物たちにプレゼント、
と書いてから思い出しましたが、
1か月ほど前カラスから栗をもらいました。

正確にはすごく危なかったのだけれど、
車で出かけ、その日はエアコンつけるほど暑くなく、
窓をあけて運転をしていました。
信号機が赤で停車していると、
突然右前方、時計2時の方向とでも言いますか
私めがけてと言っても過言ではない。
とにかくすごい速さで何かがとんできた。
「うわっ!」っとからだをすくめることしかできない。
そうよね、運転してるのだから、座っているのだから。

幸い自分のからだに当たることはなかったけれど
絶対窓から何かが入ってきた。
「???」
だからといって車内に落ちるような音もしなかった。
まさかと右腕を背中にまわすと
シートの背もたれとの間に何かある!!
手にしたものはかなり大きく、気持ち悪かったので
その瞬間ヒャ~と窓の外へ出してしまったのだけれど
手から離れるとき見たものは、なんと栗でした。
信号機は赤だから、対向車もおらず
だから対向車から投げ込まれていない。
(その信号は交差点でなくほぼ歩行者のためだけ)
飛んでくる方向の建物にもベランダなどなく
だいたい人があの角度、あの速さで投げれるとも思わず
カラスだとすぐに思いました。

私はもともとそんなにカラスはきらいではありません。
カラスが近くにいると(何してるの?)
という気持ちにいつもなります。
運転していても視界に入ればしばらく見ています。
この日もこの赤信号で停車する前に
頭上の電線にやってきたのは見ていました。

それで栗の話ですけれど、信号機はまだ赤だったので
私はすぐ窓から頭を出し、上を見たのですけれど
だれもいません。
あれは証拠品だった、ちゃんと見ていれば捨てなかった。
と思いつつ、あの日以来数人の方にその話をしていても
何だか私自身が「うそっぽい話だなぁ~」と感じてしまう。

それがつい先日、同じ場所でほぼ同じ状況に出会いました。
カラスさん、飛び立とうとして何かを落とし
道路にすぐに舞い降りたところを見たのです。
落としたもの、栗だとおもいますよ、真ん丸の大きいの。
飛び立とうとしてと書きましたが
まだほんの数メートルの高さから舞い降りたのです。
これで1か月前のことがカラスのことと確信できました。
この場所でどうしてカラスさんが栗を手に入れるのかは不明ですが
(手に入れる、でなくくちばしにくわえる、か)
くわえるのはきっとむずかしいのでしょうね。
私に投げ込んだときは、かなりの高さにいたのに
パチンと口からはずれちゃって、
すごい勢いとなったのかと思います。
もし窓を閉めていたらとか、頭に当たったらなどと思いますが、
私は自分の誕生日も近かったので
なんとなくラッキーという気分でした。

2019/07/02

メスレ おしまいです

前回メスレのこと書いたとき、
動物たちの被害が今年は少ないと書きましたが、
ここ2~3日、ペッペがやってきているようです。
私がペッペと呼んでいるのはハクビシンのこと。
鳥たちは、皆さま秋の柿を思い出してください。
あのようにつつくだけ。ちょっとつつく、それだけ。
リスは昨年のブログに写真掲載しましたが
(あぁもう見られないですけれど)
一粒取ってくわえて持ち帰るか、
それで思い出しましたけれど、
初めてリスが口にくわえたのを見たとき、
呼び止めたら、振り返ったとたんに落としちゃった。
なんだか申し訳なかった・・・
呼び止めて悪かった・・・
それで昨年の写真は
電線、というかケーブルの上で器用に
まるで私たちがトウモロコシたべるみたいに
食べてはまわし、食べてはまわしして、
種だけを残し完食、すばらしい。
そしてハクビシンですが、皮は食べない。
その皮が地面に落ちていたり、
そこで食べたのであろうと思える枝に
まるでハンカチとかTシャツをひっかけたよう
ぶるさがっているのです。
食べて皮だけペッペと出していくからそう呼んでいる。
心の中では「種は食べないで、皮食べろよ!」
なのです、本当は。だからペッペ。

もう残っているのもわずかで、
しかもとても手の届かないところとかなので
動物たちにおすそ分け。
どうぞ、どうぞ召しあがれ

2019/07/01

ハワイ島 その5

ハワイ島、しんどかったのは運転だけではありませんでした。
食生活 これもなかなかしんどかった。
ということで、普段食レポのブログは書かないのですが
悲惨な食生活 一挙掲載。
初日、必死に運転し、パホアのスーパーで買ったポケ丼
これはオイスターソース味が加わったポケ丼。
ほかにもワサビ醤油味とかコリアン味とか種類はいろいろありました。


ポケ丼は食べたかったし食べるつもりでしたので、
初日ですし、うれし、おいし。
疲れていたけれど腹いっぱい、満足。
スマホでも撮影し、「おいしそうだろう~」と夫に送っちゃえと
このへんはまだまだゆとり。とはいえ、この日はこれとペプシだけ。

日本を出る前から食事はあまり期待してはいけないとわかっていました。
ひとりだし、田舎だし、しかもPahoaはなかなかこわそうともいう。
夕食は買ってきたものを部屋で食べるのは覚悟をしていたから
せめて昼食はきちんと食べられるところをとちょっと思っていたのだが・・・

2日目、Krisさんと別れて、カラパナというところに着いたのが昼時。
レストランなどはなく、よろずや(死語?)みたいな店1軒。
あとは海の家みたいなのが2軒くらい。
そのよろずやみたいな店でなにか食べるものないかなと物色していると
店のおばちゃんに「何をお探し?」みたいなこと聞かれたので
「軽くお昼を食べたくて」みないな返事をしたら、
冷凍庫に案内されて、「レジのところに電子レンジあるから」と。
その写真は撮らなかった。

2日目夕飯、冷凍チーズマカロニ、となりほとんど生かと思えるくらい
固いジャガイモのポテトサラダ。

なんだか悔しくなってって、何が悔しいのかわからないけれど、
でっかいでっかいチョコレートケーキ、そしてプリン
このプリンが非常に非常においしかったです。
瓶詰というのが非常によろしい。
常日頃、私は売っている日本のプリンは
いったい何なのだと思っているのです。
火を通して作るのにプラスチックとはどういうこと?
だいたいあのカラメルの味はなんなのだ! 
ちょっと焦げた感じが良いのに!
あれはプリンではないとの認識です。
ゼラチンみたいのでかためてるだけではないかと。
あっ、話それました・・・

3日目 再びポケ丼、味はノーマル
温かなものがほしいとさんざん迷ってキャンベルのスープ。
こういうこともあろうかとZIPLOCのコンテナ持参
半分それにあけて水でうすめてチンして食す。わびし・・・。
それと写真には写ってないですが、プチトマトを1パック買い
この日から3日間食べ続けることなりました。

あっ3日目、昼 なしでした・・・でもそれはよろし。


4日目、宿をヒロに移します。
ヒロに来たのだからレストランでと期待していたのでした。
夕方車を走らせていたら、なかなか外観のきれいな店を発見。
「やっときちんとした皿でフォークナイフ!でお食事だ!」
と思いきやメキシカン風の、一皿いくらで、
う~ん、SUBWAYでの注文みたいに
これ入れて、あれ入れて、味はこれにしてという
日常の私の食生活にはないものの組み合わせを
30秒でリズミカルに(?)注文してできあがった
牛肉のわけのわからないものがこれ。
お会計のところですでに失望感いっぱい。
こんな食べ物に$12かぁと思っているのに
「トルティーヤつけますかぁ?」に思わず
「はい」と答えるもうどうしようもなく情けない私。
結局またお持ち帰りであったわけです。
どこかスーパーで飲み物買って帰ろう、
トルティーヤ買っちゃったからディップも買わなくちゃ。
とヒロですからパホアよりもずっと大きなスーパーへ寄って
ディップ、このさいだからアイスクリームも購入。
見て、上のあれっぽちのトルティーヤに左下のディップ。
部屋に戻って袋を見れば、ちゃんとお店からディップもらっていた。
わけわからない一皿でしたけれど、まぁおいしかったです。

5日目、これは昼食。
ホノカアというこちらこじんまりした良い町。
チキンカツっていうのを見つけたので、カツが食べられる!
と注文し、出てきたのが厚さは6~7ミリの
どれだけ鶏肉たたけばこの薄さのチキンカツが作れるかというプレート

そんなチキンカツさえも
「食わせてくれ~」という猫がずっと足元にいるので、
チキンカツも、右上のマカロニサラダもわけてあげる。
この日の夕食は撮り忘れました。フィッシュ&チプスでした。
これも持ち帰り。店で待つこと30分以上だった。
だれか注文した魚を釣りにでもいっているのかという遅さでありました。

帰国する最終日はヒロでは超有名スイサンにいって
コナまでの長距離運転の途中で昼になるので
こちらでまたしてもポケ。これはマグロ以外にちいさなとこぶし、
イナダのようなさかなも入ったミックス丼。
このミックスポケも正直美味とは言えなかったが、
何よりもおいしくなかったのが、ご飯!
私はまずくとも、いえおいしくなくても
こんな私の口に合わなくても、「いただきます」の精神から
なるべく完食する人間でございますけれどぉ~
最終日、とうとうこれが最後の食事かと思ったら腹も立ってきて
(何に対して腹をたてたのか?)ご飯は残しましたわ。
ご飯好きな私ですが、こちらのお米はいただけなかったです。

最初の3泊の朝食をおまけに。
こちらはおいしく、ホストを囲んで楽しい朝食でした。