2019/06/29

ハワイ島 その4

どんな旅だったかを一言でいえば、
「大変しんどかった」この一言に尽きる1週間の滞在でした。
先に書いた通り、車です、一番しんどかったのは。
初日が当然一番つらかったでした。
13時15分ころコナ空港から南回りでレイラニの宿まで。
昔「運転は1日300キロを超えない方が良い」と聞いたことがありました。
旅先でレンタカーを借りることは良くやるので
いつもそれは頭に入れていたし、
実際200キロ超えるとしんどいことは実際わかっていました。
それを1日でなく4時間で230キロは本当につらかった。
(マチ子とこの辺を走っているだけの私ですから当然ですわ)

どんなに必死に走っていても、
そして走っている車の数は少ないけれど
数10分走っていると後ろに2~3台ついてしまう。
どこか右によって、つまり路肩に寄せて
先に行ってもらおうと思ってもねぇ。
どうしよう、どこで寄せようと思いつつ、
結局何分、何キロその状態で走り続けたことか。
きっと横浜~戸塚間くらいは優に走ってるだろう。
見通しのきく道で(おっ、あそこなら寄れる!)
というところでようやく減速し、ため息をつく。
そんなことをこの日は4~5回やっただろうか。
そして途中雨に降られる。
島の東部の天気の特徴ではありますが
島中央に大きな山があり雲はその山にさえぎられ
東部に雨を降らせます。
最南端を過ぎだんだんと北東に向きを変え
ただただゆるやかなアップの続く道では
疲労と軽い睡魔もときどきありました。
いつになったらヴォルケーノ(キラウエア)に着くのか。
ヴォルケーノからはそう遠くないという認識。
実際はまったくそんなことはなく、
そこからだってまだまだなのにあそこまで行けばという必死の思い。
「まだかぁ、まだかぁ、まだつかない~、ヴォルケーノ~」
と本当につらかった。

ここまでで、ハワイ島ご存知の方ならあれ?と思われるかも。
西側コナから東ヒロへ向かう道は、
ハワイ島の真ん中を突っ切るように走る
サドルロードがあるではないか、と。
そのルートを選ばなかったのかと思われるかもしれません。
結論からいえば、その道を走っていいこと知らなかった。
20年前はレンタカー走行禁止でした。
今はだめなレンタカー会社とOKのところがあるらしいけれど
レイラニはヒロより南だから当然南周りと思っていました。
レンタカーのカウンターのおばちゃんにも
どのルートで行くのかと聞かれたのでそう返事して
良し!というようなうなずきをされたので
これで良いのだなぁと思って走り出しました。
空港から1時間も走れば、コナコーヒーベルトだし、
ちょっと寄り道しようか、そのくらいの時間はあるだろうと
当初は思ったりもしていました。
しかし実際はそれどころでなかったでした。
大きく「〇〇コーヒー園」とかの看板はなく
むしろ高速走行のため注意が向けられず、
あっという間の素通りとなりました。

「暗くなる前には着きたい」という思いで必死に運転
めでたくヴォルケーノ国立公園を通過。
ようやく右Pahoa方面の看板で元気が復活しました。
もうじき着く! やったぁ!

スーパーらしきものを見つけて夕飯など買って
そこでアイスクリームを食べ一息。
18時くらいにB&Bに到着し、出迎えてくれたホストに
「長かった。ハードだった」と泣きつきそうでした。
コーヒー園、見つけられなくて
寄り道できなくてよかったでした。

2019/06/28

メスレ収穫 時間・体力・年齢との闘い

ハワイ島、続きをと思っているのですけれど、
1か月ほど前からインターネット切断というトラブルが発生し
今も継続していて大変困っています。
そしてメスレの収穫も重なり、
備忘録としてハワイ島の記事の続きを書こうとは思いつつ
できない毎日です。

メスレ(巴旦杏とも言われてます) 大変大きな木でして
脚立を使っても収穫しますが、直接木に登って採ります。

枝と実をつなぐ軸というのかしら、
さくらんぼよりももっと細く短いから
柿のように高枝はさみ使うことができません。
ちょっとした振動で実が落下してしまうので
ひとつひとつ手で収穫するのですわ。
夫は今年初めて「あと何年できるかなぁ」とつぶやきました。
体力、年齢との闘いになってきました。
この時期にお目にかかれる方、家に来る生徒さんなど
皆様にお配りし(押しつけし?)召し上がっていただきます。
たくさん実をつけて、一気に熟すので時間との闘い。
ボトッ、ボトッと地面に落ちる音がするとあぁ~と思う。
こんなに赤くなるから鳥たちやリス、ハクビシンに狙われる。
でも今年は彼らが気づく前にと、これも時間との闘い。
今年は動物被害少なかったですね。

熟しすぎたり、割れたりして皆様に渡せないなぁという実は
大鍋に入れて煮て、今年はジュースにしました。
こちらは一晩かけて、最後さらしの袋に入れてポトッ、ポトッ。
とにかく実がゆるすぎて、ジャムには不向きかと。

夫は「昔は7月1日に収穫だった」と言っていましたが
これも温暖化のせいで6月下旬からとなり梅雨時真っ只中。
雨降れば採れないし、雨上がりも木が濡れてるから
収穫しながらビショビショ。
まぁ暑くて汗でビショビショだから同じか。
というわけで、何年振りかでメスレの写真載せました。

2019/06/20

ハワイ島 その3

れでどんなだったかですね。
これが最初に撮影した写真。
載せますけれど、まったくそのすごさが伝わらない。
しかし私にはかなり衝撃だったようです。
これが一番最初に私の目に飛び込んできた画像でした。
映画のワンシーンのように溶岩に車が近づいていく。
私は車をとめてバリケードまで行ってこの1枚だけを撮ったようでした。
ようでした、というのは戻ってカメラをチェックしたら
その時これ1枚しか撮っていなかったのです。
ただただ呆然としていたのだと思います。
その昔「未知との遭遇」という映画がありましたが、
主人公がデビルスタワーにだんだんと近づいて…
というシーンを思い出したくらい。

この場所で一人男性(Krisさん)が何か作業をしていました。
そして私は彼に話しかけました。
私が自分の事情を話したら、ご自身の土地を案内してくれたのです。
なんと彼は私と同じHookupu通りに土地と家を持ち
家の建っているところは埋もれず、他全部溶岩に覆われたと言います。
「ついてきて」とすぐに車を走らせ、
ご自分のその敷地に連れていってくれました。
次の2枚はその彼の敷地から撮影したものです。

伝わらないですよね、見渡す限りの溶岩流なのですけれど。
それでFissure8というのが一番大きな噴火口で山となって遠くに見えます。 


これ、何かといいますと、彼の息子さんたちのツリーハウスがあった木の
燃えてなくなったその跡だそうで、
(穴に入ってるのははしご、つまり降りられる)
今立っている、この高さにハウスの床があったらしい。
つまり溶岩はもともとの地面より何メートルという高さのところもあるのです。
この分譲地は広大で、かなりアップダウンがあるエリアでした。
それが今では噴火口の山が数個見えて、それ以外は私には平原に見えました。

下の写真もFissure8、1枚目の写真を撮ったところへ後日再度行って
撮影したもので、上のKrisさんの敷地からは反対側からの撮影となります。
このFissure8が遠いのか、近いのか、大きいのかそんなに大きくないのか。
下の左の写真の二人、人がいるのですけどね、遠くに。
この2つの写真合体させればよいのですけれど、やりかたわかりません。
(下記の地図、赤くしたところで撮影、Krisのところは●のところ)





というわけで、私は旅の目的をKrisさんとの出会いと、
とてもよくしてくださったB&Bのホストのおかげではたせたのでした。
私の土地はKrisの延長、Fissure3の近くかと。

2019/06/19

ハワイ島 その2

噴火以降チャンスを作って必ず行こうという思いがあったものの
そのチャンスがつかめないままでした。
それが突然5月末、6月の2週目、
生徒さんたちに大きく振替を願うこともなく
お休みが取れることがわかりました。
日頃フットワークが軽いとは自分でも思っていましたが、
飛行機、宿、レンタカーと予約をすべてしたら
急速にビビってしまったのでした。
思えばここ数回の海外は、兄がいたり、親戚がいたり
友だちがいたり、と誰かしらがいての海外でした。
今回はなんのつてもない、英語だって旅英語の域の私。
というわけで、あまりの緊張に出かけることを
かえって誰にも言えなく、ほんの数人にだけ告げました。
そのうちふたりが「楽しんできて」と言ってきたけれど
とてもそんな気持ちにはなれませんでした。
一番の緊張のもとは、車です、運転への不安でした。
飛行機はコナ空港に着くので、
あの広いエリアをず~っとひとり車で動かなくてはなりません。
普段マチ子と対話しながらこの辺しか走らず、
高速道路も走らないのです。
しかしハワイ島では長距離、高速で移動せねばなりません。
ことに到着した日が一番の長距離です。
本気で「死ぬかも」と思っていました。

訪問の目的ははっきりしています。
1.今後どうするかを考えるために現地をその目で確かめること。
2.できればそのエリアに知り合いを作ること。

1.はとにかく、2.は無謀かと思いましたが
行ってみなければわからないだろう、
当たって砕けろの気持ちで
Leilani Estate内にあるB&Bを予約しました。
(目的はもう一つ実はありまして、
 20年前にいけないことと知らず、
 道路わきにあった溶岩を持ち帰ってしまったので、
 それを返すということがありました)
前置きが長くてすみません。
自分への備忘録を兼ねて書いてますのでご了承くださませ。

2019/06/17

ハワイ島 その1

今年に入ってブログ引っ越したので
それまで書いたものはいっさい読めないのですけれど
昨年5月、3回にわたってハワイ島の噴火のこと書きました。
だいたいの内容を再度書きますが。

私が小学生か中学生だったころ、
どういういきさつでかはわかりませんが
父は見たこともない1エーカーのハワイ島の土地を得ました。
リタイアしたら母と過ごそうと思っていたかは不明ですが
私が16歳の時に母は他界し、
父は母の死後その土地を売ろうとしていました。
幼稚な私は「売らないで。将来私が使うから」と懇願し、
お金に厳しい父は「固定資産税がかかっているのですよ!!」
と大きな声を出しました。
それでも私は売らないでほしいと言ったのです。

父の死後当然そこを相続することになった私は
見ておいた方が良いだろうと相続手続きをしがてら
20年前(正確には19年11か月前)にそこを訪ねました。
場所は州都ヒロから車で30~40分南下したパホアという町の
さらに5キロくらい行ったLeilani Estateという分譲地。
(ご興味あれば、こちらを。Hookupu st.に土地がありました)
田舎といえば田舎だけれど、私はその土地とヒロが気に入り
ハワイ島への思いを持ち続けてきました。

とはいえ具体的に考えてこないまま20年、いえ19年目。
近くで大きな噴火が起きて、正確にはちょっと大きい噴火と
小さな噴火が広い範囲であり、結果的に川のように流れた溶岩。
そして私が相続した土地は溶岩におおわれてしまいました。
以上が昨年ブログに書いた概要です。

その後州からの手紙は、当然「評価格$0」「固定資産税も$0」
でもそんなことはどうでもよかったです。
私には子どもがいないので、私自身がその土地をどうすべきか
考えねばいけないという思いが強くなり
それを決めるためにどうしてもそこを見たくなったのです。
というわけで先週ひとりで行ってきました。
続きはまた。

2019/06/16

ご飯好き

半月あまり書いてなかったでした。
4月から6月、庭の仕事というのでしょうか、
まぁとにかく日々の暮らし
記事にするほどのものでもないことに追われたのかしら。

4月庭の絹さやが豊作でした。
もうほとんど収穫も終わりころ、
豆が大きく育ったのをさやから出して豆ごはんにしました。
連休あたり、筍ごはんを何度も作りました。
庭のあちこちから新芽を出した三つ葉をつんでは
卵とじにしてご飯にのせていただきました。
そんな時期を終えて振り返ってみたら
1か月以上パンを食べなかったなぁと気づきまして。

もともとご飯好きではありますが
途中でパンが食べたいと思わなかったこと
自分でもちょっと驚いてしまった。
おそばとかラーメンとかは食べたくて食べたけれど
パンにいたっては一度も思わなかったのでした。いやいや驚いた。
もしおいしいお米2つ用意されたら、
きっとこちらの銘柄のお米をおかずに
あちらのお米を主食に食事ができる・・・。

夏は素揚げしたなすの生姜醤油だけで
ご飯でもおそうめんでもいただけます。
日本人だもの、ご飯でしょ、の私でした。