2021/07/30

トマトっす。

蒸し蒸しと暑いです。
子どもの頃の夏休みの空は青空でもっとカラっとしていた。
オリンピックはとうとう強行され
感染者数はどこまで上がっていくのか。
無観客だからまだ熱中症で救急搬送される人がないのがまし。
死んだ魚の目のような首相の答えに腹が立つ。

さて今週の我が家はトマト三昧でした。
お隣K先生のトマト豊作+知人からもいただいた。
今週の私のヒット食はトマトつゆそうめん
連日こればかりですわ。
トマト+塩+めんつゆ+オリーブ油+水 攪拌。
ほかにじゃが・たま・ピーマンのトマト煮。
オクラも入れましたね。野菜の水分だけで煮ます。
これは大好物。

数日前、ゴミ出しに行こうとしたら駐車場のコンクリートの壁
ヤモリに会いました。久しぶりなので写真撮ったのです。
目がかわいくてね、カメラ目線っぽかったのでパチリ。
しかしほんの1~2分あるかないか、
ゴミ出して戻ってきたら壁から落ちてお腹を出していた。
死んじゃったか!!
『ど~しよ~、写真で魂取ってしまった?!』
動揺してたのでその写真はアリマセン。
「ど~しよ~、ど~しよ~、死んじゃったかも。蟻さんもたかってる!」
と叫んだら夫が「水かけて。ちょっとかけてショックあたえてさ」
というわけで、大さじ2杯くらいの水をかけたら
足をピクピクさせたので「ふぇ~、生きてたぁ」
コンクリートでは暑いのでした。庭に移動してあげた。
今年はヘビにも出会います。

2021/07/20

マチ子の塗装は取れました

マチ子、クレンザーで塗装はほぼ落ちたけれど
やはりキズがあります・・・仕方ない。
本当にごめんね、マチ子
梅干し三日三晩、第一弾終了。あと半分
先日(17日)料理家の土井善晴氏がtwitterで
ご自身の梅干しの写真載せられてたのだけれど、それがそっくりでした。
思わず『これうちの梅干しやん』と言ってしまった。
土井さんにも負けないのができたと思う!!

2021/07/19

アジフライ 

私の頭の中は、まぁ大抵、食べること、ばかりです。 
何をしていても食べ物のこと考えてることが多いですわ。
今日は何作ろうか、とか、これには何を入れたらいいか、とか
今度会う友達とはどこへ食べに行こうかとか、
これ、きっと○○さんも好きそうな食べ物だとか。
えぇ、他の方はどうだかわかりませんけれど
とにかく食に関することばかりが頭の中にあります。

それで、これはどなたもあるとは思いますが、突然
『あぁ、〇〇が食べたいっ!』と思うことがあるのですね。

20代、お勤めをしていたころ、夕食の準備はいつも父でした。
ある日の夕食、それが何だったかは覚えていないけれど
私がそんなに喜んで食べなかったのでしょう、
いや、もしかしたら「ふ~ん、○○か」みたいなリアクション。
当然父をがっかりさせた。
「このあいだ、これが食べたいと言っていたじゃないか」
私はそんなことを数日前に言っていたことさえ覚えてない。

こんな経験からか『○○が食べたい』と思う時はかなり慎重です。
慎重ですとは、本当にそれが食べたいのかと自問自答する。
今は作ってくれる人がいるわけでないから(つまりは自分が作るから)
昔父を困らせたようなことにはならないけれど
今はむしろ『自分で作ることをしてまで食べたいか』、
まで追い込む(?)ことがあるわけですわ。
父に対して申し訳なかったと今でも思うので
その食べたい気持ちが継続しているかもポイントです。

というわけで本日はこの1週間近くず~っと継続した
食べたいなぁ~のアジフリャ~です。アジフリャ~
なにもこんなに暑い日やらなくたって良かったですけど。
昨日ね、アジフリャ~にちょうど良い大きさのアジあったのでね。



2021/07/17

マチ子 ごめん

梅雨明けしたので梅、干し始めました。
梅干しにした梅は約 8キロですが
干すザルがいくつか壊れて3枚しかないし、
買おうかと思ったけれど、
5枚一度に広げて置ける場所もなし。
日をずらして干せばいいや。

マチ子 こすられてしまった・・・気づかなかった。
ごめん、マチ子、私が悪かった。
スポーツジムの駐車場で、マチ子の右隣りに止めてあった車だ。
その車は私より後に来てこすってバックし駐車したみたい。
私はもともと車種が判別できないのだけれど
隣にこのオレンジ色の立派なセダンが止まっていたのは覚えている。
帰る時マチ子のドアが風であおられて大きくあきそうになり
『おっとっと』とお隣に傷つけてはいけないとすごく意識した。
だからしっかり覚えているのだ。
こういうメタリックのオレンジ、最近増えてきたかもしれないが
そんなに見かけるほうでもないから鮮明に覚えている。
でもこの車、ここに平気で止めているのは
バックの時にマチ子をこすったこと気が付いていなかったのか。
わかっていたら逃げて他のところへ駐車しそうだけれど。
私の通っているジムは(いや、どこのジムもだろうけれど)
昼間は年配者ばかりで、運転が少々心配な方が多いのも事実だ。
私はまったく気づかず帰宅してしまい、翌朝夫が見つけたのだ。
ごめん、マチ子。その場で気が付いていたらと何度もあやまる。
かわいそうなことをしてしまった・・・。

2021/07/03

なんだって簡単にはできない

 6/29の日経の教育欄「受験考」にこんなことが書かれてあった。
保護者会で親が「もっと効率的な勉強の仕方をおしえてくれないか」
と言ってきたらしい。

数日前twitterで流れてきた投稿に、それはたぶんピアノの先生。
体験に来た幼稚園児の母親が「がっつりやるつもりはないので
簡単にささっと両手でひけるように」と言うので、
「ささっとひけるにはがっつり基礎をやらねばならない」
と話したというのがあった。

私も以前まだはじめて数か月の中学生の生徒に
「なんか 曲 やらないんですか」
と言われた。
今やってるのも曲なんだけれどね。
あなたの知っている曲ではないかもしれないけれど。

パソコンが世に出回り始めたころ
「こんなことコンピュータがあればちゃちゃっとよ」
などと言ったり思ったりしたものの
「ちゃちゃっと」できるようになるために
どれだけの時間と労力が必要だったか。

さて、更に同じ「受験考」(6/1付)にも面白い記事。
『算数の授業をしていると、生徒の学力によって独り言が異なる。
 算数が得意な子は「似たような問題を見たことがある」とか
 「解いたことがありそう」
 一方、苦手な子たちは決まってこう言う。「ひらめいた!」』
この先がおもしろい。
『人生の中でひらめくことは、めったにない。
 どんなに偉大な数学者でもそう簡単にひらめかない。
 ところが算数が苦手な子は数分おきにひらめくのである』
これは実際にはひらめいたのでなくて「解けた」なのだ。
解けた経験が少ないから、ひらめいたと思い違ういうのだ。
得意な子は決してひらめくことなく、むしろ試行錯誤、
様々なアプローチを試みているという。
大切なのは「解けた」という感動体験の積み重ね。

勉強でも楽器でも簡単には自分のものにならない。
好奇心、意欲、理解力、集中力、持続力。
従順さも必要だ。
こうして長い年月やっていれば
その間に何度も何度もこれらの力には山あり谷ありがある。
ものすごくモチベーションが高くなっている時期もあったし
へこんでしまってやる気がでないときもある。
やる気がなかなかでなくても
ギターをやめることなく、
レッスンをストップすることなく
継続してきたことは力になったと思う。

しかし効率、効率、ちゃちゃっとささっとって
その親御さんなりご本人はそうやって生きてこれたのかしら。
たまたまピアノをご自身が弾けないけど
なんでも簡単にこなしてこれた人生だったから
ピアノなんかもささっとできるものだとでも思うのか。
そりゃ、天才ですな。うらやましい。