2022/05/26

彦根では

教室の発表会をやったので間が空いてしまった。
ここ数年温泉旅が多かったので
名古屋のような都会の素泊まりが
こんなに安いとはと思えるようなホテルで一泊し
早朝彦根へ向かう。
特急しらさぎの彦根の一つ手前米原下車。
そこから普通列車で一駅・・というわけだったのだが
なんと事故だったかで運転の見込みたたないとのこと。
幸い並行して近江鉄道が走っているのでそれに乗る。

彦根城へ向かって歩いたわけですが
その前に『埋木舎(うもれぎのや)』
井伊直弼が藩主になるまで過ごした場所へ寄る。
15年くらい前に日経に連載されていた
諸田玲子『奸婦にあらず』読んで興味をもった住まい。
井伊直弼は藩主の十四男。
直弼は庶子ではないからどこかの養子になるとか
お坊さんになるとか、でなければ質素に生きていくかしかなく
どこのお婿さんにもなれなかったので
生涯貧しくこの控屋敷を自ら埋木舎と名付けて
ひっそりと生きようとしてたのね。

どんなに質素でこじんまりした住まいだったのだろうと
小説を読みながら想像していたのだが
行って思いのほか大きかったので驚いてしまった。
建物にあがって中を見ることはできないが
玄関に平面図があってず~っと眺めていた。
こちらそのお玄関
私は平面図とか地図が大好きなのだ。
「?!」
私しか来館者はいないので受付の方をお呼びし
「平面図のこことこことここはトイレですか?」
そんなに驚くことはないと思うのだが、かなり驚かれてしまった。
「えぇっ? どれですって?」
「図面のここ、ここ、ここ、です。この狭さはトイレかなと」
「あぁそうです。」と外側から一カ所ずつ案内してくださり
「ここは内側からでなく、このように外から入る」
おっ、ほんとだ! 外扉であった。 
「隠遁生活したところというから
 どれだけこじんまりしているかと想像してましたが、
 存外広い屋敷で驚きました」
と言うと
「藩の控えの建物なので藩士も出入りし使われていたのでしょう」
な~るほど。

彦根博物館で彦根屏風を見て、がんばって登りましたよ彦根城。
有名なお城ですから外観写真や櫓の写真はよしとして
私がすっごいなぁと思ったのは梁ですね。
当時のままの梁です。

このお城3階建て?
とにかく傾斜50度くらいはありそうな階段を上り下り
天井ばかり見ていた「すごいなぁこの梁」
帰宅し調べると最上階天守の梁が一番見ごたえあったみたい。

昼には彦根をでないと夕方からのレッスンに間に合わない。
急いで駅に戻り観光協会の方に何か食べられるところを教えてもらう。
「彦根B級グルメ、近江ちゃんぽん!」
なんと近江牛でなくラーメン食べて帰れってかいっ!
店は駅前というので電車の時刻も気になるのでここで妥協するか。
そんながっかり気分でお店へ入る。
申し訳ない。おいしかったです。
あっさりした和風しょうゆでした。
彦根でお急ぎ食事でしたらおすすめです。

この2日間博物館美術館をまわって
実はたくさんの刀剣を見ました。
刀剣に興味のある方も多いと思いましたけれど
何本も何本も見ながら(ちゃんと見たよ)
『あぁ、刀に興味なくて良かったなぁ』と思ってしまった。
あの輝き。でも私にはどれも同じに見える。
これを突き詰めたいと思ったら大変なことだと思いながら
何本も何本も見ました。
鞘とか鍔も一緒に展示されていればありがたく・・・。

彦根城のおかげでしっかりお尻筋肉痛。
1週間近く疲れが残ってしまったらしく
整体の先生にもしっかりバレバレの足となっていました・・・。

2022/05/20

名古屋では

名古屋には早朝の新幹線で入りましてまず熱田神宮
お参りした後朝食がてらのきしめん
おかかが踊る~

その後名古屋城へ。NHKで日本最強の城だと言ってましたのでね。
焼夷弾で焼失した本丸御殿ですが美しく復元されました。
江戸時代の資料などがかなり保存されていて
また、戦前の写真などもあり復元できたのですと。
              復元された御殿越しに見たお城

お目当ての徳川美術館の広重の浮世絵
五十三次は昔永谷園のお茶漬けの付録だったの覚えてますか?
それを何枚か集めて送ると、
キチンと箱入りの55枚揃ったのを送ってくれる。
それを大切に持ってました。
なんの役にも立たなかったが江戸から京都までの53の宿場町
私は暗唱してまして今でも言えるのだ。

時は流れてたぶん昨年か一昨年前
いろいろなご縁でご紹介いただいた本
これが非常に面白くって、ざっと言いますと
実は東海道を歩いていないであろう広重が
司馬江漢の絵をもとに作っちゃったという内容。
それを保永堂が版画にして売れちゃった。
そして今回私は徳川美術館で初めてそれ以外のことを知ったのですが、
保永堂版売れちゃったから、その後いろいろ出しちゃうわけです。
狂歌を入れたり、美人画とコラボしたり、
縦長のなんかもあります。
もう面白いのなんのって夢中になって見てました。
現代も旅行雑誌は人気ありますが
江戸時代はこれだったのですねぇ。

ミュージアムショップで図録買いながら
「面白かったです。横浜から来てしまいました」
「広重、お好きですか」
「???」(即答できない)
好きなのかなぁ~、まぁいいか。

夜はもちろんひつまぶし
大変おいしゅうございました。
蒸さない、かりかり感のあるうなぎもおいしい。






2022/05/19

『女占い師』と『彦根屏風』

もうじき終わってしまうが六本木で開催されている
『メトロポリタン美術館展』行きました?
コロナ禍で良かったことは入場制限があり
以前のように混雑の中で鑑賞することなく
じ~っくり、ゆ~っくり鑑賞できることだ。

子どものころから絵を見るのが大好きだった。
家には重たい重たい美術全集があり
それを本棚から引っ張り出して毎日のように眺めていた。
その全集は国ごとになっていて
更に美術館ごと章になっていた。
たとえばフランスだと最初の章がルーブルで、とか
イギリスならナショナルギャラリーで、という感じ。
もっぱら洋画ばかりの幼少期でしたな。

いい大人になってから浮世絵など日本画が面白くなる。
NHK Eテレの『浮世絵EDO-LIFE』も欠かさない。

先日は名古屋の徳川美術館と彦根城博物館に行きました。
徳川で『広重の旅風景』というのをやっていたのです。
名古屋に行くにあたりいろいろググっていたら、
前々から見たかった彦根城博物館の『彦根屏風』も
この時期公開していることを知る。
というわけで一泊で名古屋・彦根の強行旅。

彦根屏風は作者不明の江戸初期の風俗図、
京都の遊里を描いたものとされ、国宝だそうです。
当時の髪型や着物にどんな流行があったかなど
私はまったくわからないのだが
目にした資料などから、
例えば遊女が男性の髷を結ってるとか
ポーズをとってるかぶき者といわれる兄ちゃんがいるとか。
犬、しかも洋犬を飼うことが流行ったとか。
まぁ見ていて面白いのなんの。

で、メトロポリタンに戻りますが
今回の一押し作品になっている『女占い師』
私はその絵にくぎ付けになったのですが
描かれているそれぞれの衣装のリアルなこと。
その質感が指先に触れたみたいにわかるのでした。
それが『彦根屏風』のほんの数ミリ数センチの着物でも
描かれており、まぁびっくりしてしまった。
絞り柄の凹凸が手に触れずともわかる。
メトロポリタンはもう2か月以上も前に行ったのだけれど
彦根屏風見ていたら急に『女占い師』思い出した。

彦根城ももちろん行きましたよ。
いやぁ、大変でした・・・
また書きます。

2022/05/12

明月院の

月曜日に放送されたNHK『鶴瓶の家族に乾杯』
旅人は歌舞伎役者の市川猿之助氏で
ロケは鎌倉、しかも北鎌倉だったのですね。
レッスンを終えてたまたまテレビをつけたら
どうも見たことある景色だなぁ。
それもそのはず、毎日の私の通勤通学道でした。

番組では全く触れてなかった(と思う)けれどロケは
線路淵から明月院(あじさい寺)にかけての道。
明月院にぶつかって左にず~っと歩くと
その先に巨大分譲地がありそこに実家があります。
北鎌倉駅から家まで20分、
最後の6分くらいがすごい坂道。
大船駅から分譲地へ行くバスがあるけれど
(家はバス停から2分もない!)
このバスも20分くらいかかり、
子どもの私はいつも酔ってつらかった。
それで明月院へ歩いて下りていたのでした。
(なんとなく今『明月院へ下りる』と書いたけれど
そういう表現使っていました。
『北鎌倉駅まで歩く』とか言わなかった)

番組で初めて知ったことは
明月院の前のあの素敵な茶室のような庵のお宅
番組によると北大路魯山人のパトロン
細野燕臺というかたのおうちだったのですって。

番組では明月院の前で出会った男性が
猿之助と歩きながら細野宅を紹介しました。
猿之助は魯山人ファンで、細野燕臺のことを知っていた。
興奮して来た道を戻り突撃取材したというわけです。

私は自分の慣れ親しんだ道を初めて画面で見て
しかもロケは雨の日だったのだけれど
それが明月院らしい風情を出していて懐かしかった。
よろしければ16日月曜日午後再放送ですのでご覧ください。

そして、番組で猿之助に細野宅を紹介したその男性
私が中学生のころ、毎朝その方の後ろを歩き
密かにあこがれを抱いた、まぁ初恋に近い人です・・・
(初恋は小学生のときでご近所の高校生)
こちらのSさんは2番目に恋心を頂いた方デス💖
(これが言いたくてブログ書いているのでした)

テレビを見ながら夫と
(マスクをしていらっしゃるからすぐにわからず)
「なんだかSさんに似てるねぇ~」
「ウワァ、やっぱりそうだっ!」
って、まぁ驚いたわぁ。

2022/05/08

連休も終わり

連休、いかがお過ごしでしたでしょうか?
29日のジョイントコンサートでスタートした10日間
コンサートには想定数以上の方々が足を運んでくださいました。
本来定員100名のところ、フラットな会場のためか
緊急事態宣言も蔓防も解けたけれど「半数以下で」
との会場からのお達しだったので
(コーラスなどの利用なら30人位が定員!!)
おおきく告知ができず、
一般には会場の月間予定パンフレットにのみ掲載。
それをご覧になってか関係者以外の方々が
15名近く聞きに来てくださいました。
これまでこんなに集まることなかったので
ちょっと驚きました。
人々は生の音楽を求めていたのでしょう。
本当にありがとうございました。

コンサートの後は飛び石でいろいろあって
中華料理食べに行ったり、コンクールのお手伝い
アンサンブルの練習、そして6日金曜日の
先生のコンサートへ出演。
おっ、ご近所とのいつもの「くさやを食べる会」も。

夫は雨でなければ連日庭仕事
お隣K先生と一緒に畑づくり。今もやってる。
私もやっと指先ケアからちょっと解放なので
草むしり、食べる葉っぱ収穫
少しでも自給自足・・・って到底無理ですが。
そらまめ収穫 おいしかった。
大きさがわからないでしょ。
立派に見えますが、と~っても小さく人差し指の先っちょくらい。
そらまめ好きで、何年も私のブログを読んでくださってる方
ご記憶あるかもしれませんが
誕生日祝い、3年ほど『そらまめひと箱』でした。
「いやってほどそらまめ食べたい」と言ったら
「ではそうしましょう」と築地市場まで買い出し。
輝くようなそらまめ、3000~4000円でした。
帰宅して内職のように房から取り出す・・・
これは自力で誕生日祝いには含まれていませんでした。
あら、話それてしまった。

先日も書きましたが、ギターには全く関心のない夫。
でも仕事には協力的でいつも感謝してる。
コンサートももちろん手伝ってくれました。
が、帰宅して一番、何を言われたかって
「あなた、その髪型、ばばぁだ」
「もう、ばばぁだもん」
そして挙句「だって金太郎じゃないか!」
ギターかついだ金太郎ミナコ!!!
変えるぞ、髪型。