2019/05/27

トイレの扉

先日私の生徒さんの長老M氏、体調崩されたとおっしゃってました。
「昨日ですがもうお腹が痛くて痛くて。それでトイレでぶったおれましてね」

さてさて、皆様のお宅のトイレのドアはどのようになっていますか?
M氏のおトイレ、内側に開くドアだったそうで
ぶったおれ、いえいえ倒れてしまわれ、助けてもらおうにも
ご本人がいるからドアが開けられなかったという。
意識はしっかりとなさっていたので
「こりゃ、自力で起き上がらないと出られないのでがんばりましたよ」

だいぶ以前に新聞のコラムで、その方はバリバリキャリアウーマン(死語?)
出かける前にトイレを済ませてからと思い、
たくさんの書類を入れたカバンをトイレの外にちょこんと置いた。
そして出ようと思ったら、そのトイレは外に開けるドアで
その重たいカバンが倒れたらしく
ストッパーになって開かなくなったのですって。
最近もそういう話を何かで読んだ気がしますけれど
トイレのドアのそばになにか積み上げてると起こり得ます。

うちのトイレは外開き。幸い何も置いていないけれど
私はこの記事を読んでから時々ですけれど
家にひとりきりでいてトイレに入るとき、
完全にドアを閉めない、う~っすら開けて入ることがあります。

実家のトイレは引き戸。
バリアフリー対策でそうしたような気がする。
スペースが取れれば、ガラガラと引き戸がいいです。

M氏と私。お互いすぐに思ったのは
『そちら側(お互い反対なので)にドアを開けるようにしてるのは
 それだけスペースがあるのだなぁ』
我が家でしたら、トイレそのものが広くないからうち開きできない。
ぶったおれたときはそのまま外に頭が出ますわ。
まぁ安心??

で、M氏、それがレッスンの前日でしたので
「今日はもうお休みせにゃと思っていましたが、
 朝起きたらケロッとしてました、ワッハッハ」
うふふっ、大好きなM氏でした!

2019/05/18

トルコ至宝展行きました。

20日月曜日に終わってしまうけれど、
国立新美術館で開催されていた『トルコ至宝展』行ってきた。
2回前のブログに書いた How is Hirohito?と尋ねられた旅では
イスタンブールへも行ったのだが
その年、トプカプ宮殿の多くの展示物が日本に来ていて
入れ違いになってしまうというので
旅立つ前に国立博物館に見に行った。
おかげさまで、トプカプでは
「Now in Japan」という表示だったかどうか思い出せないけれど
とにかく空っぽのケースをたくさん見た記憶がある。

今回の展示物を見た後、実家に置いてあった30年前の
『トルコトプカプ宮殿秘宝展』の目録を持ち帰って見てみると
展示物の量が今回の比ではないですわ。
まぁそんなことは良いとして、今回思ったことは
それらの保存状態の良さでしたねぇ。
カフタン(お着物)にしろ、敷物にしろ
一度しか着なかったのじゃないのぉ?と思うくらいくたびれてなく
色褪せも450年くらいでこの程度?と思えるくらいだった。
本当に栄華を極めた帝国の皇帝たちの宝物だ。
そして今回も思ったことは
私はま~ったく宝石類に興味がなく
美し~いっ!と目が行くのは会場の壁面のタイル模様ばかりであった。
もちろん美術館は作り物ですけれど
トルコはいたるところにブルーの美しい柄のタイル。
30年前もタイルばかりを見ていた。
それと宮殿の広さにほとほと疲れたというのが印象だった。

トプカプ宮殿の向かいはアヤソフィアという寺院だけれど
間が広い公園だったような気がする。
そこでギターを弾いている人がいて
貸してもらって弾かせてもらった。
曲の題名はまぁ世界中同じなので
弾き始めたら「アストリアス」とかリクエストされて
やっていくうちにだんだん難しくなりそうなので
途中退散しちゃった。

イスタンブール 楽しかった、とっても。
食べるものもさすが世界三大料理、おいしかったです。

2019/05/13

走る凶器

連日自動車による事故の報道ばかりです。
日々運転している身として気をつけねばと自戒。
私にとって自動車は道具であって好き嫌いの対象でなく
ましてや楽しみや気晴らしのものではない。
だから「趣味がドライブ」という了見は一度ももったことはない。
もともと自動車に興味がないというのもありますが。

免許証がおりた時に父に言われたことが大きかった。
「いいですか、あなたはこれから走る凶器を扱うんです。
 これで簡単に人を殺すこともできてしまう。
 そのことを十分考えて扱うように」
私にはこれがすべてであったと言っても過言でなく
自動車は包丁などの刃物と同じ道具であり凶器。
自分の意志とは関係なく、何かの拍子に
自分だけでなく人様を殺めるまではいかなくても
傷を負わせることになるかもしれないもの。

う~ん、父は良い表現をしてくれたなぁ。
「走る凶器」だって。
と30年以上感心していたら、先日新聞に載っていた。
5/10の日経朝刊のコラムに書いてあった。
高度成長期のころ自動車事故による死者は1万人を超えていた。
ピークは1970年16,765人だったそうで。
な~んだ、父が考えた言葉じゃなかったのだ。
な~んだ、父が思いついて作った言葉じゃなかったんだ。
な~んだ、そうか、な~んだ(ってしつこいっ!けど)な~んだ。

2019/05/03

時代は変わる 私はどう変わり

元号が平成から令和になりました。
連休どこへも出かけない私は、
家でテレビをつけている時間も長かったので
まるでゆく年くる年のようなテレビから流れる騒ぎに
“そんなに騒ぐことかなぁ”と感じつつ
今上天皇と同世代の私は
否応なしに3つの時代を生きることになるのだな
という程度の思いでその騒動の2日間を過ごした。

昭和63年8月で会社勤めをやめてギターの仕事を始める前、
こんな時期でもない限り時間をかけて旅はできないと思い
父を説得し9月に入ってすぐ、初めてバックパックで海外に行った。
その直後なのだろうか、昭和天皇がご病気になられた。
私はもちろんそんなことは全く知らないまま旅をしていて
どこの国だったか記憶にないが、
「Japanease?  How is Hirohito?」と言われて
“ヒロヒト? そんな知り合いいないなぁ。
  いやいや、だいたい初対面の外国人に私の何がわかるのか”
と、まるで「お父さん元気?」みたいに尋ねてきたその人に
「ヒロヒト 知りません 」と言ってしまった。
「あなたは自分の国のエンペラーも知らないのか」
と驚かれ、その時初めてご病気と知った。
翌年崩御され、元号が変わるというので兄と二人で予想した。
私は見事(?)「平」という漢字を当てた。
今回はアルファベットから考えて
「K」が来るかなと思ったけれど外れましたわね。
そうか「R」もだったか。

もともと元号には関心はない。いつも西暦使ってたし。
でも時代ということを考えるのには便利なものかもしれない。
まったくもってお子ちゃまだった昭和。
少しは成長したかなぁの平成。
といわけで年相応のまともなおばちゃん、
いえいえおばあちゃんになり、ひっそりと消えていきたい令和。
令和の次も生きるかもしれないか。