2019/07/05

ハワイ島 その6

総まとめとしますけれど、
その1・その2で書いたようにハワイ島へ行く目的は
土地をどうするかを考えていくために実情をこの目で見ること。
現地に誰か知り合いを作ることでした。
その土地の人々がこの先どうなると考えているか知りたかった。
いろいろなことを自分で見て、直に触れ、感じたかった。
更にもし将来的に処分すると決めたときには
どうすればいいかも知りたかった。
これらをできるだけたくさん持ち帰り
今後のことを考えたいと思ったのでした。
「でも知り合いを作るのはむずかしいかな」
と思って日本をあとにしました。

肌で感じた大きな発見は
天災がおきたときの住民の考え方が
私たち日本人とは大きく違うということでした。

日本人はこういう時、行政が復旧を先導するのが当たり前。
行政がしてくれるのを当然と考えます。
ですから、なかなか行われなければ
私たちは「何もしてくれない」「何もなされないまま」
という思いを強くしますけれど
ハワイ島の人たちは、あっ、少なくとも
レイラニの人々は自分主導でした。
もともと水道は引かれていません。
広大な自分の土地に大きなタンクを持ち
雨水を貯めて動力を使って自分の家へ引く。
電気は来ていますが、自家発電も備えています。

今回の噴火で溶岩で埋まったであろう道
私が行ったエリアで2か所通れるようになっていました。
1か所はほんの数100メートルあるかという短い長さ
そこは公のエリアの道でした。
だから州など公共機関が通れるようにしたと思います。
もう1か所は私の土地のある分譲地のエリア。
こちらはだれが通れるようにしたかはわかりません。

今回Krisさんから聞いた話のひとつ。
自分の土地が覆われたけれど、
お隣だかどなたかの土地に道を作ってもらえれば
その方は家に行かれるからそこに道を作ってくれという話。
でも「自分の土地に絶対道は作らせない」
とそのお隣さんは銃まで持ち出す始末。
レイラニ町内会のプレジデントであるKrisさんは
連日対応におわれたと言いました。
まぁこれはご近所トラブルの域ではありますが
自分の土地へアクセスするために道を確保するのは
まず自分でやると考えるのです。

80年代に溶岩で覆われた土地(カラパナというエリア)
基本何も復旧されていませんでした。
しかしそこに土地を持っている人は(もちろん数件)
家の側まで車でアクセスできないにもかかわらず
なんとその溶岩の上に家を建てて生活していました。
それ以上に驚いたのは、レイラニ分譲地の中で
早速家を建て始めていたのを見たのです。
これには本当に驚きました。

到着した翌日、ホストが
「三七子、今から土地があったところを見に行くのだね。
 見ておいで。でも見るだけで入ってはいけないよ。
 なぜならその土地は誰かの土地だから」
と言われました。

さぁ、皆さん、このホストの言葉、今一瞬どう感じましたか?

私はなんとなくわかったようなわからないような気持だったと思います。
たとえば「危険だから入ってはいけないよ」
と言われればすんなり「そうですね」ですが
彼の言うことが「ふん、まぁそうだけど・・・どういうこと?」
みたいに感じました。

その日一日車を走らせて、
80年代に溶岩に埋まったからカラパナを見て、
昨年の私たちの土地を見て、実際に建築中の家を見て
後日Krisさんを交えて話を聞いて、
(B&Bのお隣さんの奥さんが日本人で通訳に来てくださった!)
「そこは誰かの土地だから」という感覚を私は理解しました。

ということはつまり、私の土地は
私が主導で考えていかねばならないということに
他ならないということです。
日本人的感覚で数年すれば道ができているのではないか、
などと思えるほど溶岩の原野は半端ではありませんでした。
私にはどうすることもできないということが
はっきりとわかったし、また数年でどうこうというレベルでなく
相続すべき子どもがいない私は
近い将来に私自身がどうするかを決断しなくてはならない
ということがはっきりしたことでもありました。

こんなこと現地に行かなければわからなかったのか
とも思われる方もいるかもしれません。
でも私自身が心底納得できるものを得たかったのでした。

それ以外にもいろいろ考える材料を
ハワイ島は私に与えてくれました。

20年前にこの地に来て、レイラニとヒロが気に入りました。
夫と「20年くらい後に家が建てられたらいいね」と
その時後にし、ハワイ島の地図と
Sigさん(ハワイアンテキスタイルデザイナー)の
アロハを夫の伯父様におみやげとして買い
私たちはテーブルクロス用の布地を買いました。

20年の日本の、というか私たちの生活する首都圏の
時間・空間の煩雑さとハワイ島の流れ。
私はこの20年、どんな風に生活してきたのだろう、
何を大切にし、何をやりたくて生きてきたのか。
そしてこれからどんな感覚で残りの人生を生きたいか。
結果的にはそんなことにまで思いを及ばせるものが
この1週間のハワイ島滞在でした。

まだまだいろいろありますが
ハワイ島のお話はこれでおしまい。
お土産は今回もSigさんの、でも自分たち用ワンピースとアロハ。
でも今一番買ってきてよかったなぁと思っているのは
使うことそうないと思いますがHawaiian Dictionary


帰る日の前日、突然ベッドの中で「辞書買ってこっ!」と思い
20年前と同じ、地図を買った本屋さんへ行き購入。

自分への誕生日プレゼントは
自分の土地が上空から見ることができる
ヘリコプターツアーとワイピオ渓谷ツアー。
はいはい、だから観光もしましたよ。

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