2021/08/31

おいしかった嶽きみ

 8月も終わろうとしています。
この夏、私は何をしていたのだろう・・・。
オリ・パラ ほとんど見ていない。
オリンピックの放送で3分以上見ていたのは
腹立たしかった閉会式でのぼったくり男爵と
橋本大臣様のスピーチだけだった。

8月は11日の夜からの腹痛から始まり
食生活は現在ほぼ元通りなのだけれど・・・という状態。
先週、恐る恐るラーメンと餃子を食べたよ。
8月で閉店してしまう大船にある「鎌倉飯店」
小さかったころはよく行ったが
大人になってからは行っていなかった。
コロナでというより高齢化によるらしいけれど
街の中華やさんが閉まるのは残念だ。
訪れた日は夫が一人旅に出かけ、私はひとり夕食。
夕方レッスンの空き時間に訪問。

医者から「何食べてもいいですよ」
と言われてもなかなか食べたい気持ちは復活しなかった。
ご飯もおかゆも食べたくない。
最初のうちは豆腐の卵とじ。連日こればかり。
茶碗半分くらいご飯よそってそればかり。
そしてもともと好きでないけれどヨーグルトなど。
すぐやめた。好きじゃないんだから。バカ。
うどん、納豆、しらす
圧倒的に野菜が足りてないが食べたくない。
仕方なく(?)キャベツをボイルして食べる。
鶏肉少しでロールキャベツも作ったな。
すっごくちっちゃいの。

それで、夫は青森に行っていました。
写真におさめたお土産は
嶽きみ きみとはトウモロコシのこと。
(夫がブログに載せろって言うので)
岩木山の麓の嶽高原で栽培されている青森ブランド
ものすごく甘い、おいしい。
来年もどこかで手に入れたい。
それとご当地ラーメン
左上の「黒にんにくラーメン」は頂きました。
まだ食べていないけれど、
下のカップ麺はリクエストして買ってきてもらった。
味噌とカレーとミルク どんなだろう?
もうちょっとお腹元気になったらね。

2021/08/16

寿司はスペシャルだった

ちょっと口が悪いですけれどご勘弁くださいね。
夕方のニュースなんだかワイドショー何だかわからない報道番組。
そのなかでかなりの頻度で話題になってるとか
人気があるとかで「回転ずし」のお店の映像が流れる。
映像には子ども連れのファミリーが多いのだけれど
小さな子どもが行儀もなにもあったものでなく
「おいち~いっ!」と寿司をほおばりながら言うのですな。
まぁ映像のために言わされてるのだとは思うけれど
それを見るたびに私は思うのです・・・
『こんなちいちゃなうちから寿司なんか覚えちゃって』とか
『きちんと座って食べろ!』
『口に物を入れてしゃべるんじゃない!』
はい、口がわるくってスミマセン。
そして半分はやっかみですね。

私が子どもの頃、寿司がどれだけスペシャルなものであったか。
家に大切なお客様がいらして
近所の寿司屋さんから樽でお寿司をとったときの喜び!!
もちろんお客様用ですから手を付けることはないけれど
心の中で(余ったら食べさせてもらえるっ!!)
と思ったものでした。
寿司屋に行く、なんてことはさらにスペシャルで
今でもハッキリと記憶に残ってるくらいです。
そもそも外で食べることはスペシャルだったでしょ。
同世代の「ちびまる子ちゃん」の漫画にも
そんなエピソードがあったから我々の世代は
共感してもらえると思う。

それが35年くらい前(これは私の感覚)に回転ずしなるもの登場。
私の中で「寿司屋」をどう位置付けしていいかわからなくなる。
とはいえ今ほど乱立していないので、
その回転ずしもすぐには体験していない。
初めては兄に連れて行ってもらった。
家から車でそんな遠くないところにできたからだ。

店の前でこんこんと諭される(さすが大学教員!)
「三七子、いいか、ここを寿司屋と思ってはいけない。
 寿司を食べにきたと思うな。遊びだ、おやつだと思え。
 とにかく寿司屋ではないと思え。そう思って入るんだぞ!」
なっ、なんだ? すぐに入らせてくれないの? って感じ。
私、従順なので兄の言うことはききましたわ。
店を出ると「なっ、面白くおいしかったろう?」と
今でいうドヤ顔の兄。
(同じうんちくを結婚する前、やはり回転ずし未体験の夫にする)

それが現代ではどうでしょう。
お小遣い握って(とまではいかない?)食べられる身近な店となる。
寿司は江戸時代のファーストフードでしたから
簡単であることは確かかしらね。
でも私はテレビ映像の中の4~5歳児の映像を見るたびに
『ふん、何よ』にちょっとやっかみ、口悪くなるのです。
「こんな子どもに大トロの味なんて覚えさせなくていい」
とテレビを見ながらしょっちゅうほざいているのです。

今の子どもたちってどんな食べ物に
私が経験してきたようなスペシャルな思い出を作るのでしょう。
私、たくさんありますよ、特別な食べ物。

2021/08/14

がんばれ風間浦村、がんばれ下北! がんばる私

今西日本で線状降水帯が何日も居座って
各地に大きな被害をもたらせていますが
私が個人的に毎日気にしているのは青森は下北半島。
私が昨年11月に訪問した風間浦村です。

むつ市と風間浦村の境にある小赤川橋が壊れ
更には北はマグロで有名な大間町がありますが
そちらに向かって動いても土砂が崩れたりしました。
つまり村は孤立したのでした。

青森は津軽と南部に分かれていると言われるけれど
下北の人たちのなかには、これとは別に
「下北」があって3つという人もいるらしい。

斧のような形の下北半島。
風間浦村を含む大間町や佐井村で生活する人たちは
県庁所在地の青森市よりも函館の方が近いし、
電波もたぶん北海道のを取ってるのではと思う。
そういう立地の下北半島は災害が少ないと言われてきた。
だから大間に原発とか上北郡には六ケ所村とか
なるほどそうなのかぁと思わせるエリアなのだ。

JRの本州最北の駅大湊のあるむつ市の津軽海峡側
というのか太平洋に面したエリアから
この下北郡への道は1本しかないですし、
この道が寸断されて断水もあって
どんな思いでいるだろうと思うと
下風呂の人たちのことと今練習してる曲の旋律が、
激痛で過呼吸になって意識朦朧としたなかでも
ぐるぐると頭の中を回っていました。

まだ腹痛が始まる前に役場の人たちに
お見舞いメールを出したら大変な中
昨日短く返信がありました。
「ありがとうございます。
 奇跡的に人的被害がなくて良かったです。」
あぁ、ほんと、そうです。
泊まった宿にもメールしました。
私の質問もいけなかったけれどさすがの彼
私「被害ないでしょうか、心配です。
  道が遮断されて陸の孤島になったとか」
彼「ありがとうございます。
  もともと陸の孤島なので大丈夫です」
とまったく私の心配は解消されないでその日は終わり
私は激痛の12時間に突入した。

前回のブログのあと、
皆様からいろいろお見舞いのメッセージいただき
大変感謝申しあげます。
皆様にご心配いただいた腸閉塞を伴った
逆流性食道炎は絶食本日で3日目。
今日も点滴を打ちに行きましたが一応ドクターからは
「もう何を食べてもいいですよ。食べたくないと思うけれど」
う~ん、確かに食べたくない。
まだ時々キリキリと痛いし・・・。
お腹張ってる、というのか、とにかく固く痛い。
ガスはでたけれど便がまだ出ないのだ。
元気なのですけれど。
明日はワクチン接種なのだ。
ドクターは「関係ないから打って大丈夫」とのこと。
元気だから大丈夫、大丈夫。
これからは食生活もうちっと考えます。
がんばらねば!!

それで下北半島に話を戻しますが
昨年買って帰った下北の苺のスパークリングワイン。
そのいちご園も被害があったし
やはり土産にもして、つい2か月前に取り寄せた
「海峡サーモン」の稚魚が大被害にあいました。
このサーモンすばらしかったのだ。
来年も頼むのだ、と思っていたの。
とにかく支援を。支援を。
あっ、断水しましたが、温泉源は復活しました。
あの世界一の温泉郷(と思っている)
支えていきたいと思っています。

2021/08/12

腸閉塞気味ですって

また胃をやられてしまいました。
死にそうに苦しかった・・・。
過呼吸でしびれもきてしまったので
夜中に紙袋を探してそれを口に当てる始末。
病院へ行こうにも痛くて簡単に動けず
しかしようやく昼前に受診する。

CT撮ってもらうと今年の3月のとちょっと違う。
なんと腸閉塞気味だそうで・・・。
「手っ取り早いのは入院ですけれど・・・」
と言われてビビる。
辛いこともあるかもしれないけれど
今日のところは薬も出しますからお帰りになって
経過をみましょうかね。
それでどうしてもというなら入院という方法も。

私は過去に腸閉塞やっているのでそういう体質か?
母もやったよなぁ~。

「あの、入院というのは?」
「絶食と栄養補給、激しい痛みが出た時にすぐ対処できますし」
「退院してまたもとに戻っちゃいますね」
「まぁそうですね」

あの痛みのことを思うと入院もちらっとよぎった。 
というわけで点滴して今日は帰ってきました。
明日又来るようにと言われてしまった。

夫はきっとオロオロだったと思う。
ハッハッと息をするのが精いっぱいの状態なのに
「苦しい?」とか「何をしたらいい?」とか話しかけてくる。
ありがたいけれどね、どちらかというと
苦しくて答えられないから話しかけないで・・・。
でも病院まで送ってくれました。
ありがとうございました。