2019/04/27

ひとり温泉いきました 26(ほんとは4人)

先日の熱海温泉より後先になりますが、
4月のはじめ伊豆大島へ一泊、温泉入りに行きました。
大島行は昨年予定していたのですが、皆の都合の良い日、
なんとホテルが休業していて行かれなかった。
そのまま立ち消えになったかと思わないでもなかったけれど
なんとなく行こう行こうと盛り上がり
ご同行いただきましたのは仲良しのギタリストMさんご夫妻。
私たち夫婦は8年半ぶりの伊豆大島となりました。

8年前は熱海から高速船に乗りましたが
Mご夫妻とご一緒なので初めて竹芝から行きましたよ。
こちらからの方が行きやすいことを知る。
4月1日 新元号発表を浜松町の駅で知りました。
(ってどうでもいい)

夕方大島へ到着する高速船でしたので
そのままホテル、即温泉、お食事。
私はこのホテルのお風呂場からの三原山の眺めが大好きで
このまま山頂までダッシュで行かれそうな気持になります。

こちらがその露天風呂からの三原山のながめ。
泊りでの温泉、私は最低4回は入ると決めている。
到着後すぐ、寝る前、早朝、朝食後。(これもどうでもいい)

夕食は椿油がちょっと加わっているオイルのオイルホンデュ。
そしてお刺身などですよ。
こちらは明日葉がたくさんとれるので、食材の下になんとなく敷かれてる。
写真の右の緑の葉っぱがそうですが、それも揚げていただく。

翌朝は三原山登山、最後がちょっときついけれど、天候に恵まれました。

こちらは有名な断層ですね。以前より道が整備されていました。
その後波浮港のくさやのお店に行って、くさや購入。
くさや焼き会をお隣K先生のお庭で近くやる予定です。

そして竹芝へ夕方もどる船からは、東京湾ならではの写真が撮れました。
羽田へ着陸する飛行機のおなか、下から見ることができます。
案外撮るのは難しかった。
写真慣れしていない私 この程度。

大島、近くて良いところなのに未開地という感じです。
それが良いところでもあるけれど、逆にいえばまだまだやりようがある。
そんなことを思った久しぶりの大島でした。

2019/04/22

はじめましての一人旅

先日のひとり温泉の日、私自身が楽しい一日を過ごしたわけですけれど
夕方からレッスンしてまして、実はもっとうれしいことがありました。

この春高校2年生になった男子生徒S君。
「お土産です、東北ひとりで行ってきました」って。
このS君ですけれど1年前の春休みを利用して
ホームステイでオーストラリアへ行ったのだけれど
その経験・体験が大きく彼を動かしました。

彼との付き合いは何年になるかしら?
詳しくは書けませんが、中学時代の反抗期もあっただろうし
(私に対してということでなく、一般的にまわりに対して)
受験の苦しい時期もありました。
話を聞かないまでも、レッスン場での表情やギターの音でわかる。
それが晴れて高校進学が決まり、2週間の海外。
そしてこの1年、私もいろいろな話を彼にしました。
そのなかには旅の話も多かったと思う。
S君の気難しそうな中学校時代の表情とはまったく変わりました。
とにかく私の旅の話はいつも目を輝かせて聞いてくれていた(と思っている)
それでやってくれたのねっ! 今年の春休み!

いやぁ、うれしかったです、心底。
青春18きっぷ買って、ず~ぅっと鈍行乗り継いだって。
いろいろ聞きたいことあったけれど
ほれ、一応ギター教室ですからさぁ、ギター弾かないとね。
それで「では今回一番印象に残ったことを1分でどうぞっ!」
ちょっと考えてから宿泊した旅館のご主人から伺った震災の話。
宿泊は松島あたりだったのでしょう。
ご存知のような地形、島の多さで大きな被害を免れたと。
ボランティアの人たちもたくさん来てくれたとか。
そんな話をしてくれました。
鈍行の旅の大変さは学習になったようで
「今度やるときには時間のことよく考えるようにしたい」って。
よしよし、よくやった。本当によくやってくれました。
「先生も実は今日ひとりで日帰りプチ旅してたのよ。
 だから泊りでなくても日帰りで下田に行くとか、房総とかやってよね。
 今日先生は十分楽しい一日と思っていたけれど、
 今のS君のことが一番うれしかったわ、よかった、よかった」

このことを近いうちに書こう書こうと思っていたら
4/13日経夕刊の木ノ下裕一氏のコラムで
はじめての一人旅のこと、それが何年経った今でも
体感として強烈に残っていると書かれていた。
『それはきっとどれも“はじめまして”の感覚で出会ったからだ』

S君の東北一人旅、半日かけて大船から仙台へ行ったこと。
震災を体験した方のお話。
どれも彼には“はじめまして”の出来事だっただろう。

コラムでは『成長するということは、経験を積むということだが、
同時にこの世界から“はじめまして”が減っていくことでもある』
そう、チコちゃんでも以前やっていましたが、
大人にになると時間が早くすぎていくのはときめきがなくなるから
というのがありましたけれど、ときめきもそうだけれど
新鮮なことがなくなってしまって、毎日が同じようになるの。
だから毎日同じような日々の私は、ちょっとでもめずらしいものや
新しいことがあったら、純粋に喜びたいといつも思っています。

そんなわけで、ふだん頂き物の写真はブログ掲載しないのですが
これは私のうれしかった記念なので。
ごちそうさま、ありがとうございました。

2019/04/17

過去のぶらりでの不思議な出会い

先週の日帰り思い付きぶらりはときどきやります。
この日は熱海に降りましたけれど、
5~6年前の夏、同じように芦ノ湖へ行き、
わかさぎフライ定食を食べた後湯河原に降りたことがあります。
その日の体験が忘れられないので
先日久しぶりにやってしまったのですが。

その湯河原行きのバス、乗客は私一人でした。
大観山を通る椿ラインを降りていくのですけれど
バスならではの楽しさでした。
途中途中で流れるアナウンスで名所を教えてくれます。
「ここが大観山か」と横山大観由来を教えてくれる。
でもなにより私が感激したのは、
その道の細さ、くねくね度、それをあの大型バスで下るっちゅう。
対向車が来たらどうするのかなぁと思うくらいのドキドキ。
もう、とにかく運転手さんカッコイイと感激してしまった。
今度生まれ変わったら、このバスの運転手さんになろうと思ったくらいだ。
私は過去にも会津鉄道(だったと思う)の車窓からの美しさに感激し、
その時運転手さんに(この電車は運転手さんとお話しできたので)
「こんな素敵な中運転できるなんて、
 運転手さんになりたい人多いでしょうねぇ」
とお話して、
「えっ? だったら、お客さん、なってくださいよ」
と冷めた返事をいただいたこともあるのだけれど
どうやら乗り物の運転手さんをうらやましく思うタチらしい。

話戻りまして、その湯河原へ降りた日、
ホームのベンチで本を読んで電車待ちをしていたら
杖をついた足の悪いお爺さんが隣にやってきて座られた。
夏も終わりかけていた日だっただけれど、
「あじさいの花がきれいですねぇ」と翁一言。
私は顔をあげ、あたりを見るもあじさいはない。
すると「あじさい、どれかわかりますか?」とおっしゃる。
「あそこの赤い花」と指だったか杖だったかで示された。
でもそれはあじさいではなかったので
「あれはあじさいでなく、芙蓉だと思います」と答えると
「そうですか」
するとひょこっと立ち上がり、元のほうへ歩かれた(と思う)。
私は再び本に目を戻したが、
「?」と思いその翁を目で追ったがどこにもいない。
足悪くて杖をついていたのに、そんなに早くどこへ?
もちろん上りも下りも電車は来てないから乗車することもない。
いったい翁はどこからきて、「あじさい きれいですね」
と言って、どこへ消えたのだろう。

この話、その当時のブログにも書いたのだけれど
この話を人にしたらば、おもしろい反応がありました。
「それ、あじさいでも芙蓉でもなく、ボケ」 
とか「そのおじいさん、家ではふよう」とか。
いえいえ、それよりも消えたのよ、そのおじいさん。

2019/04/14

ひとり温泉いきました 25

続きですけれど、芦ノ湖滞在30分
11時にバス停を一つずつチェックすると5分後に熱海行きのバスがある。
よっしゃ、それに乗って降りていくことにする。
揺れること1時間あまり。
途中見晴らしの良いあたりからは、
あの町は沼津あたり、とにかくずっと駿河湾が望めました。
お昼時に熱海へ到着し、マグロ刺身定食1300円
ちょっとお散歩して以前から気になっていたお風呂入ってしまった。
こちらね、400円です。
ちょいと写真トリミングしましたけれど、ほらね、400円 嘘でないでしょ
こういうこともあろうかと、
ヘアーキャップとタオルは持ち歩いておりますのよ。
この日ですか? 夕方からレッスンしておりました。元気でしたね。
先週はこの天気の良い暖かな日を挟んだ両日、寒くて寒くて。
ことに翌日にあたった水曜日、芦ノ湖は雪景色でした。

2019/04/11

ちょっと芦ノ湖

お世話になっている整体の先生が箱根湯本でして長年通っています。
たいていは寄り道などせず行き来してますが、
したとしても乗り換える小田原駅でちょっとという程度。
しかし先日あまりに良い天気でしたので
「芦ノ湖でも見てみるか、桜もきっときれいなのでは」
と湯本駅でもしタイムリーにバスが来たら乗ってみようと思ったら
1分もしないうちにきましたよ、元箱根港行き。
関所とか海賊船の発着する場所と書けばお判りの方もいるかしら?
「急行」バスというのがあるのですね、
20分ちょっとで湯本から芦ノ湖まで。
とにかくノンストップですわ、すごっ!
で、美しい湖面と富士山

この景色を見るためにここまで来たって感じでした。
芦ノ湖の水もきれいに澄んでいました。
そういえば、桜ねぇ、バスの車窓からはところどころ見えましたけれど
富士山を見てしまったらすっかり忘れてしまったわ。
芦ノ湖滞在、30分というところ。
続く

2019/04/08

読書と国語教育

2週間くらい前の新聞で読んだのですけれど、
高校の国語変わったらしいです。
なんでも「戦後最大の大改革」らしいです。
(3/24 日経文化欄「エリート男子の高校国語」)
理科と国語が本当に嫌いだった(=だからひどい成績だった)私です。
しかもウン十年も前の話ですから国語教育云々と
現在でもまったく語ることはできないのですけれども。

それで今年からどうなるかって話ですが
まずは戦後間もないころ(正確な年はわかならいけれど)から
ほとんど高校国語って変わってこなかったのですって。
だから「戦後最大の大改革」
どの世代の人に話を聞いても
「教科書に『こころ』あったでしょ?」とか
「『山月記』教科書に載っていたね」
と話が通じるのはだからなのですね。

この度新設されるのが「論理国語」というもので
「生活に必要な国語を正しく理解し使用する基礎的な能力を養うこと」
を目標としているとのことです。
新聞は発行部数を減らし、本も売れないとは言われていても
インターネットの普及で、文書による知識共有・伝達量は
以前とは比べ物にならないくらい多いのですって。
だからそういったお役所文章みたいなもの、
つまり淡々と描かれた文章を読み取る力が必要という話。
そうなりますと、従来の小説とか詩歌などの『文芸』は
「生活を明るく豊かにする」として、音楽・美術と同じ
『芸術』の分野に属されることになるらしいです。

話戻りまして、先に挙げました『こころ』『山月記』
そして鴎外の『舞姫』もなのだけれど
これらが採用された戦後直後、高校進学率は42.5%
そのうち男子は60%近かったそうで、
つまり高校へ行くのは「エリート男子」だったわけ。
そういう彼らが共感するであろう作品が選ばれたということらしいですよ。
私が読んだその新聞紙面を書かれた新井紀子氏は私と同世代ですが、
ものすごく読書好きだったのが、その「近代男流文学に食傷し」
興味を失ったそうですよ。
この部分を読んで私は
「そうかぁ、私もそうだったんだぁ、だから読書好きじゃなかったんだ」
と自分の本への興味はまったく学校の国語教育から得られなかったことに
合点がいってしまったのでした。
(かなりムリがあるこじつけかとも思うけれど)

もともと本を読まない子どもで、両親から嘆かれていた私。
誕生日祝いを買ってあげるからついていらっしゃいと母に言われ
喜んでついていったらそこは本屋さんで
「読みたい本を2冊選びなさい」
と言われて、ガックリとうなだれた記憶があるくらい。
そこへ漱石とかが追い打ちをかけてきてますます読まないまま成長する。
というのも、父は「漱石くらい読まないでどうする」って言っていた人で
おバカさんな中学生くらいの私はそんな父が恐ろしいので
一応夏目漱石を手にするもちんぷんかんぷん。
その理由が新井氏いうところの「エリート男子の苦悩を描いた」
これらに心を揺さぶられなかったからだ。
学校の国語教育から本への興味につながらなかったうえに
毎日国語(日本語)使っているのに、何を勉強しなくてはいけないの?
といつも心の奥底で思っていたために
本当に悲惨な国語の成績を取り続けていた中学高校時代でした。

それにしても文学作品を読むことは
これから芸術鑑賞と同じ扱いというのも半分理解ってところでしょうか。

2019/04/06

メスレの木

庭のカラーが咲きました。
前からあったのだけれど、日当たりが良くなくて移し替えました。
そうしたら出ました、うれしいわぁ。


ついでにすみれも写真撮りました。

ついでにスノーフレイクエスティバムの写真撮ったのですけれど
撮影し終えて気が付きましたが、後ろに生えている木、これがメスレです。
いつもメスレ収穫しお配りすると「どんな木なの?」と尋ねられます。
その度に「巨木、地面から八岐大蛇(ヤマタノオロチ)のように生えている」
と答えるのですが、その八岐大蛇ぶりがこの写真でおわかりいただけるかと。
だから脚立ももちろん使いますけれど、そのまま木によじ登って収穫します。
すでに花は散り、新緑の葉っぱが広がり始めたメスレです。