2019/04/08

読書と国語教育

2週間くらい前の新聞で読んだのですけれど、
高校の国語変わったらしいです。
なんでも「戦後最大の大改革」らしいです。
(3/24 日経文化欄「エリート男子の高校国語」)
理科と国語が本当に嫌いだった(=だからひどい成績だった)私です。
しかもウン十年も前の話ですから国語教育云々と
現在でもまったく語ることはできないのですけれども。

それで今年からどうなるかって話ですが
まずは戦後間もないころ(正確な年はわかならいけれど)から
ほとんど高校国語って変わってこなかったのですって。
だから「戦後最大の大改革」
どの世代の人に話を聞いても
「教科書に『こころ』あったでしょ?」とか
「『山月記』教科書に載っていたね」
と話が通じるのはだからなのですね。

この度新設されるのが「論理国語」というもので
「生活に必要な国語を正しく理解し使用する基礎的な能力を養うこと」
を目標としているとのことです。
新聞は発行部数を減らし、本も売れないとは言われていても
インターネットの普及で、文書による知識共有・伝達量は
以前とは比べ物にならないくらい多いのですって。
だからそういったお役所文章みたいなもの、
つまり淡々と描かれた文章を読み取る力が必要という話。
そうなりますと、従来の小説とか詩歌などの『文芸』は
「生活を明るく豊かにする」として、音楽・美術と同じ
『芸術』の分野に属されることになるらしいです。

話戻りまして、先に挙げました『こころ』『山月記』
そして鴎外の『舞姫』もなのだけれど
これらが採用された戦後直後、高校進学率は42.5%
そのうち男子は60%近かったそうで、
つまり高校へ行くのは「エリート男子」だったわけ。
そういう彼らが共感するであろう作品が選ばれたということらしいですよ。
私が読んだその新聞紙面を書かれた新井紀子氏は私と同世代ですが、
ものすごく読書好きだったのが、その「近代男流文学に食傷し」
興味を失ったそうですよ。
この部分を読んで私は
「そうかぁ、私もそうだったんだぁ、だから読書好きじゃなかったんだ」
と自分の本への興味はまったく学校の国語教育から得られなかったことに
合点がいってしまったのでした。
(かなりムリがあるこじつけかとも思うけれど)

もともと本を読まない子どもで、両親から嘆かれていた私。
誕生日祝いを買ってあげるからついていらっしゃいと母に言われ
喜んでついていったらそこは本屋さんで
「読みたい本を2冊選びなさい」
と言われて、ガックリとうなだれた記憶があるくらい。
そこへ漱石とかが追い打ちをかけてきてますます読まないまま成長する。
というのも、父は「漱石くらい読まないでどうする」って言っていた人で
おバカさんな中学生くらいの私はそんな父が恐ろしいので
一応夏目漱石を手にするもちんぷんかんぷん。
その理由が新井氏いうところの「エリート男子の苦悩を描いた」
これらに心を揺さぶられなかったからだ。
学校の国語教育から本への興味につながらなかったうえに
毎日国語(日本語)使っているのに、何を勉強しなくてはいけないの?
といつも心の奥底で思っていたために
本当に悲惨な国語の成績を取り続けていた中学高校時代でした。

それにしても文学作品を読むことは
これから芸術鑑賞と同じ扱いというのも半分理解ってところでしょうか。

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