2025/05/25

私としてはぜいたくな5月でした

今月5月は、というか今年の前半(3~5月)は
私としてはぜいたくと感じているのだが
あちこちの博物館、美術館など行きまくりました。
3月の大覚寺展からはじまり
4月は古代DNA展
そして今月はえらく贅沢をさせてもらったが
相国寺展へも行きましたし
関西へ一泊して神戸の池永孟の南蛮美術
大阪の上村松園、奈良と京都の国宝
先週は松代の真田宝物館(これは温泉ついでに寄った)
今はお腹がいっぱい、という感じです。

勉強をしていないので、ただただ観るだけです。
そしてえらく気に入れば重たい目録を買って帰る。
この程度の鑑賞なのだけれど
観たい!!と思うとそればかり考えてしまう。

大覚寺も相国寺でも印象的だったのは
実際に寺院の内部に居るような映像や空間の再現だ。
実物の襖絵が目の前に展示されているが
その脇でCG画像が数分上映されていて
この襖の先の部屋はこうなり、
反対側の襖のお隣の部屋は・・・・
とまぁ見ていてなかなか面白かった。

もうじき終わってしまうが科学博物館の「古代DNA」
これ、おもしろかったでぇ~
ゲノム解析が進んでこんなことまでわかっているんだぁ
という驚きの連続であった。
展示の最後の方では、
お武家さんと庶民の頭蓋骨には違いがあった、
などという面白い展示もあって
「ふぅ~ん、やはりお武家顔というのはあるのか」

余談ですが、展示物を見ながらよくわからなかったので
その場で兄に「ゲノムって何? DNAとの違いは?」
と質問したらAIで返事が戻ってきた。
それが、「安藤先生と三七子さんの会話」という方法を
安藤先生はAIにやらせていたのです。
会話形式だから三七子さんも発言するのだが・・・。
ホンモノの三七子さんより理解力がよく・・・
切り返しもうまく・・・
・・・・・
なんなんだ・・・

2025/05/12

サクサクのアジフライ

GW、皆さまはどのように過ごされましたか?
比較的お天気は良かったですよね。
(もう1週間も経つと色々忘れる)
GWを含め、4月あたりからは庭仕事を
家にいれば毎日数十分でも必ずやる。
これから夏過ぎまでず~っと続くけれど
春になっていろいろ芽吹くので
ことさら「GW=庭仕事が増える頃」という認識。
ず~っと畑仕事をしていた夫は
すでに夏の日焼け顔になっている。

前回書いた冬の葉野菜の後始末。
新しく伸びてきた葉野菜をチョキチョキと収穫。
友だちが毎年ドサッと蕗を下さるので煮る。
私は土いじりをしているうちには入らない。
ちょっとの収穫と草むしりが専門で
収穫を調理するのが仕事である。
食べているものは毎日同じということだけれど
日々感謝して食べることが多くなったと思う。

そうそう、ここ数週間はまた干物づくりにはまる。
骨密度をあげなくちゃいけないので
骨までたべられるからイワシの丸干しをメインに作る。

近くに新しくアジフライを食べさせる店が出来た。
興味津々でオープンしてすぐに行ってみた。
店の人が私の隣にいた高齢女性に
「ねっ、フワフワでしょ」
と言っていた。食材のアジも上らしい。
つまり並ランクと2種類メニューにあったから。
私はその一日限定数のある上のアジフライを注文。
たしかにフワフワ、サクサクが良い感じだ。
味のほうはよくわからなかったのだが。
(並のも一緒に食べて見なければわからないと思う)

サクサクが売りになるのか、と思った。
つまり一般的に外食で出されるアジフライは
フワフワ、サクサクしていないのだろうか。
アジフライは年にほんの数回だが私も作る。
この程度のフワサクは当たり前と思って食べていたが
店の人がアジの味(!)のうんちくを言わず
「ねっ、サクサクでしょ」と言うのを聞いて
おろしたての魚のフライはそれだけで売りにできるのか
と妙なことにおどろかされた次第です。
イワシの丸干しも自分で作ると、
まぁ出来にむらはありますがちょいフワで
「今回はイイ感じだなぁ~」
しばらくはこんな暮らしでしょうかねぇ。

2025/05/03

寅さんを観る

春になって葉物野菜も雑草も一斉に延びました。
毎日毎日時間があるとちょっとずつ庭仕事が増える
そんな4月があっという間に終わってしまった。
ちょっとずつと思っていても心身を遣っています。

冬を越して最後にググっと花を咲かせようとした葉物野菜。
私はそれを一気に抜いて捨てることができず
食べられる葉っぱを細かくちぎって収穫してから捨てるのだが
この作業がせこいながらも実は好きでして
毎年、ルッコラや春菊、秋は大葉とかね。
先週もようやく最後の春菊をしゃがんで処理した。
良く地面を見ると大葉があちこちからたくさん出ている。
これも安全な場所(踏まれない場所)に植えかえる。

というわけで、ブログネタになるような生活ではなく
こんな事で4月は過ぎ、おそらくこれからも
家事・読書・ギターの日常が続くのです…。

そうそう、最近は「寅さん」の復習をしている。
長年の人生の先輩ボーイフレンドから2月末に
どさっと小包が届いた。
私の読書ボーイフレンドであり、
私に邦画の面白さを教えてくださった方である。
小包の中身は本であり、その中の1冊に
『山田洋次が見てきた日本』(クロード・ルブラン著)
という聖書のような分厚い本があった。
780頁もある本である。
ボーイフレンドはこの本を読んだときに
絶対に私に読ませたいと思ったとおっしゃる。
それで送ってくださったのだ。
他にも私が好みそうな本が3冊ありました。

この本、フランス人が書いているのだが
山田洋次の生い立ちからはじまり、
山田作品をその公開当時の日本がどうであったかの
エビデンスというか、かなりきちんと細かく調べあげ
また山田が多くのメディアで語ったことも交えて
1作1作を解説している。
このフランス人の情熱というかなんというか
とにかく日本人以上に山田を愛しておりますなぁ。
それで読み進めるうちにどうしても寅さんが観たくなった。
20年ほど前にやはりそのボーイフレンドが
全作貸してくださってひととおり観ているのだが
もちろん忘れております。

本が届いた当初は
『一日10頁は必ず読む!』としていたのだが
読み進めるうちにどうしても映画が観たくなり
ボーイフレンドに連絡してお持ちの山田作品一式
更にすごい小包となって送ってもらったというわけです。
一日10頁はあえなく1ヶ月で挫折…。
寅さん20作目くらいの部分だったかと思う。
3作目、4作目は山田が監督ではなかったとか
知らなかったなぁ~。
私の好きな映画の1970年の『家族』での
御前様笠智衆の演技は抜群だったなぁとか。
再発見はいろいろある。
ということでおうち時間は寅さんが続きます。

2025/04/12

治める人はこうあってほしい

 この春、朝廷から徳川家を追討するご命令がありましたが、
私ども今まで臣下の一人として仕えました者としては、
恩を忘れて主君に鉾を向けることなど決してできるものではありません。
現在の諸国の大名の態度を見ておりますと、
日本国が従来から持っていた人の道を守る心は捨て去られたように思います。
私は領内の十余万人が、職業に精励して経済が豊かになり、
安心して生活できるようにすることが天職だと思っています。
それぞれの藩がそのように考えることが、
ひいては国全体の平和と繁栄につながることでしょう。
そんなことも分からない人たちが戦争をしかけてくるのであれば、
義理を守り、力を尽くして戦い、
滅亡しても仕方ないことだと覚悟しています。
 しかしながら強い方につこうと日和見の態度を取って、
戦いに巻き込まれて領民を苦しめ、
藩も滅亡し、汚名だけ残すこととなれば
もっと申し訳のないことだと思っております。
私どものような小藩でも一致して倹約につとめ、
産業を興せば、三年のうちには海軍を備えることもできましょう。
それなのにこのような情勢となって、
いたずらに戦争によって領民を苦しめ、農作業を妨げ、
国を疲弊させてしまうのは本当に悲しむべきことです。
このことはすでに、朝廷にも徳川氏にもご意見申し上げたのですが、
どちらからも回答はありませんでした。
そこで私はやむを得ず、
ただただ領民の平和を維持することに専心しているのであります。
このようなことを私どもは
決して一藩のためだけに申し上げているのではありません。
いまこそ日本国中で協力し、
世界の恥さらしにならないような強国をつくり上げることが大切です。
情勢は切迫していますから、この真の心を
ぜひご採用になっていただければありがたく思います。

 
慶応四年五月
牧野駿河守

2025/04/11

幕末の長岡藩の河井継之助

私が歴史上の人ですごい人だと思っている人物のひとり
長岡藩の最後の(だと思う)家老、河井継之助だ。
突然、何を書き始めたかと思われるかもしれないですが
どこかに書き留めて残しておきたいのでこちらに。
興味ない方はスルーしてください。

司馬遼太郎の『峠』という小説で初めてこの人物を知った。
大政奉還後、既に多くの藩は新政府軍側となっていたが
長岡藩は旧幕府軍にも新政府軍にもつかず
中立の立場を貫こうとしていた。
そして新潟の小千谷で河井は嘆願書を持って新政府側と会談するも
現れた新政府側の男が若造で話にならず決裂。
長岡藩は結局旧幕府側となり…河井は落命するのですが。

小説を読んで河井が哀れであり
あと10年20年遅く生まれていたら
彼はどれだけすごいことを成し遂げたろうとか
会談の相手があんな若造でなかったらとか、
とにかく河井への思いが強かった私は
何年か前に長岡の河井継之助記念館に足を運んだ。

そこで展示されていた小千谷会談時の
涙なくしては読めなかった嘆願書。
(原文は私にはとても読めないが
 意訳がそばに書かれてあったから読めたのよ)
こんなのはいくらでもネットに載っているだろうと
旅から戻ってから検索したが
いくら探しても見つからずあきらめていた。

さて何年か経った数か月前(1月のこと)
偶然兄に連絡することがありLINEすると
「今長岡に向かっている」
というので、時間があったら記念館へ行って
嘆願書の写真が撮れたら取ってきてほしいと頼んだ。
結局写真はダメだというので兄は朗読してくれた。
兄も朗読しながら「泣きそうだ」と漏らした名文。
なんとしても文字にしたいと思い
テープ起こし(LINE起こし)して残しておくことにしたわけです。
そうしたら何年かぶりに検索して意訳を見つけてしまったよ。
兄の録音をもとにそちらも参考にしました。

プーチンさん、ネタニヤフさん、そしてトランプさんにも
ぜひお読みいただきたいです。
嘆願書は次のブログで。

2025/03/25

悲しいことがありましたが

数年前まで不定期に開催していた
我が教室の軽~い発表会。
会場がなかなか抽選で確保できなかったので、
ここ数年は会場を小さな部屋に変更して
3か月に1回の練習会という形にして早2年。

あみだくじで演奏順を決めて披露するのだが
私も演奏するようにしている。
最近は『今日欠席の生徒さんの練習している曲』
を弾かせてもらうこともある。
先日はサグレラスの『マリアルイサ』
急遽、この曲を選曲した。

13日の木曜日その生徒さんから電話をもらった。
80歳を少し過ぎた男性で10年ちょっとのお付き合いだ。
「先生、コロナにかかって入院している。
 コロナはよくなったが、多臓器へ炎症がみられるから
 とにかく2週間は休むからね」
とてもとても心配した1週間を過ごした。
高齢であること以上に喘息をお持ちだったので…。
そして…他界されてしまった。
訃報を伺ったのは22日土曜日。
17日に亡くなり21日に葬儀を済ませたと奥様から電話。

2年ほど前からだったと思うが
「もう新しい曲はチャレンジしない。
 リストを作ったから、これを順番に何回もやることにする」
と12曲を少なくとも3回か4回目かとグルグルとやってきた。
3月初めの最後のレッスンのとき練習していたのが
『マリアルイサ』だった。

月曜日に娘さんと電話で話をした。
娘さんはご主人の仕事の関係でずっと海外生活だったが
「娘と孫が今月に戻ってくるのだ」と
最後のレッスンのときに嬉しそうにおっしゃっていたので
伺ってみたら「帰国したのが前の週の週末で」
入院前の2日間は具合が悪そうだったが一緒に過ごせたという。
「お父様はとてもお話、というか説明のお上手な方でした。
 私がまったくわからないことでも、わかりやすく、
 一度でわかるようにご説明くださる方でした」
私は「お仕事とかどこかでレクチャー経験とかあったのですか?」
と質問をしたことがあるくらい、
どんなことも確実に私にわかるようにお話くださる方だった。
そのように娘さんに話したらすぐに合点なさり
「そうでした。私はなんでも父に相談をしてました。
 父はその時アドバイスというのではなく、自分の経験や
 体験をふまえた話をしてくれる人でした」
他に少しだがいろいろ話を伺い
「すてきな父娘の関係でいらしたのですね」
とうらやましいくらいの良いお話をしてくださり
私はウルウルしながら素直にそう申しあげた。

ちょっと、いや、かなりショックな週末だったが
娘さんとほんのちょっと思い出話ができてほっこりもした。
ハンチングとシルクのマフラーのお似合いの方でした。
初夏に我が家のメスレを楽しみになさって
ありがとうとチョコレートを大人買いしてくださったり。
私の方こそ、たくさんのことをありがとうございました。

2025/03/13

2月の強攻旅行 7 余談

寒かった、雪が降ったと合間合間に書いてましたが、
結局帰路、大変具合が悪くなった。
金刀比羅のみやげやの叔母さんから
御礼にといって渡されたお箸も功を奏せず
「縁起いいから。病気しないから」と言われたのに
嘔吐と下痢に襲われ、必死に帰ってきた。
単純に冷えであったと思う。
熱もでていたのだろうか、よく覚えていない。
風呂に入り、カイロを貼って寝て、
翌日にはケロリとしてました。
留守中ご迷惑をおかけした皆さま
お詫び申し上げます。