2025/11/27

前回の続き~父のことを思う

 お坊さんのお話、続き。
高校3年生の頃だと思うが、父が近所の人と
夜な夜な鎌倉の小町通りに飲みに行くのに連れて行かれ
そこで夜な夜な忍びで飲みに来ていたお坊さんと友だちになった。
その人はまだ修行の身で私が寺院へ行っても
おしゃべりする場所もないので
彼の仲良しのお坊さんが住職をしている塔頭が
おしゃべりの場として使われたのである。

ここまで書いてきて、危険な行動でしたなぁ~
よく二人の坊さんに乱暴されませんでしたなぁ~
自分が親だったらどれだけ怒っただろう、
父だって怒るはずだからないしょで寺へ行っていたかと思う。

で、その修行のお坊さん、ある日なんと、
学校に私を訪ねてきたのである。
私はカトリック系の学校に通っていたのだが
托鉢に出たついでに(?)学校にあらわれた(らしい)。
たしか、放課後の掃除の時間帯だったと思う。
私は見なかったが友人が学校の坂道をあがってくる坊さんを見た。
「廊下から外見ていたらお坊さんが現れたよ。
 以前話してくれたお友だちのお坊さんじゃない?
 まさか会いに来たのじゃない?」
 と教えてくれたのである。

ギョッとした! 帰宅して父から静かに話があった。
「学校から電話があって三七子を訪ねて今お坊さんが来ている。
 どうしましょう・・・という電話だ。
 もちろん帰らせるように言った」と静かに言われた。
怒られたとかでなく静かに言われて、怖いともあまり感じず
ましてやというか、なんというべきか、
悪いことをしたとも感じなかった気がする。

しかしこうして自分も年を取って思うことは
この出来事はむしろ父を困惑させ、苦しめたのではないか。
私を叱るにもどう言っていいかわからなかったのでは。
もしかすると酒を飲みに連れて行ったことを後悔していたか。
とにかくこの出来事を父はどんな風に思っていたのだろう。

父は思春期に母親を亡くした私をどう育てていいか、
いつも悩んで苦しんでいたらしい。
私が嫁いだ後、義姉にそのことを打ち明けていた。
「三七子をどのように育てていいかわからなかった」
というようなことを兄嫁に言ったと。

私が初めて結婚相手となる夫の母に挨拶に行ったときのこと。
帰ってきた私にどんなだったかを話させて
最後に父が言った言葉が今も残る。
「母親がいないからこんな娘に育ってしまったのだと言われたら
 私にはどうすることもできないのだ」

ちゃんとしなくちゃいけないんだ・・・
父が私のことで人様に何かを言われるようじゃ
父につらい思いをさせる娘ではいけないのだと
恥ずかしながら30歳もいくつか過ぎて思った。
義姉から話を聞いたのはそれ以降のことだ。

あれあれ、お坊さんとの思い出話が違う方向へ。
しんみりしてしまいましたが
お坊さんの話はまだ続きがあるのですけれど
父の話になぜかなってしまいました。

2025/11/25

夜の建長寺に行きました。

今月は友人とライトアップされた鎌倉建長寺へ行った。
建長寺なんて何年ぶり? いや何十年ぶり?
拝観料を取るようなお寺さんは夜に入れないところが多い。
だから今まで何度も行ったことのある建長寺さんだが
夜の、しかもライトアップされた幻想的な境内は美しく
高いお金を出した甲斐がありましたわ。
様子を見にだかかどうかはわからないが
歩いているお坊さんもニコニコ顔でした。
                  ご存知、三門。
        (ご存知って、建長寺といったらこれ、と私は思っている)
                     唐門。
              重要文化財らしい・・・知らなかった。
              ちょっとわかりにくい写真。こちらは池。

以前は本当に良く行った。いや、突っ切っていた。
実家から鎌倉に行くのに電車やバスを使わない場合
ハイキングコースで半僧方へ行き建長寺を突っ切って
というコースをいつも使っていたのである。
そうでなくても10代の終わりころは
院内の塔頭に仲良しのお坊さんがいて遊びに行っていた。

と、そんなこともす~っかり忘れていて
この日、急にいろいろ思い出してしまって
同行した友人にその思い出をまくしたててしまった。
このお話はまたいずれ書きます(と思います)

2025/11/16

こういうのは許せないという恰好

なんだか急に寒くなり、四季でなく二季を感じるこの頃。
ちょっと出かけるのに何を羽織れば良いのかわからず。
とはいえいきなり長めのコートを着るのもはばかられ、
お尻が隠れるくらいのものは持ってなかったな。
ウィンドブレーカーみたいのしかないなぁ。
だいたい昨年は何を着ていたのだろう?
腰までの30年以上着ている革ジャンだけは覚えているが。
と、朝から天袋にある衣類箱をチェックする。
あぁ、こうして衣替えのたびに椅子にのり
天袋にある衣類箱の中を入替え、防虫剤をいれて・・・
というのは年齢的にそろそろ難しいかもと毎年思う。
そう思って昨年から衣類の断捨離はしているのだ。

半年ほど前靴が捨てられないと書いたが
なんだかんだ言って2足は捨てました。3足かも。
そして折りたたみ傘も2本おさらばとなりました。
3段に折れる折りたたみの傘。骨がだめになり
修理しようと持ち込んだらできませんでした。
骨そのものを取り換えねばならなかったのだが
3段式のは長さがいろいろあって
ピッタリのものが簡単に見つけられないのだそうです。
あきらめてビニールと骨とに分離し
骨のほうは後日その修理屋へあげてしまった。
もしかしたら役に立つかもしれないから。

と、このように捨てましたが、その分を買い足さない。
めんどくさがりやなので、買い物もめんどう。
本当に買い物もおっくうなのである。
良いのだ。断捨離なのだから。
今クローゼットにあるものをみすぼらしくない程度に、
自分の許せる範囲で日常着ればよいと思うのだ。

と、前置きが長かったが先日友人と
「自分の(他人のも)許せる範囲の格好とは」
という話になり、これ、結構いろいろあったのである。

私、じいさんのGパンは何とか許せるが
ばあさんのジーンズはちょっと許せない。
すっごくかっこよく着ておられる老婦人もおられるが
そのような方に出会うのは稀です。
そんな私も家ではジーンズであり、
歩く範囲の行動圏では「許して!ばばあのジーンズ姿」
と心の中で言って出かけてる。
さらに許せないのは、チュニックという腰まで隠す服があるが
それを着ているにもかかわらず
腰も隠さないジャケットを着て、
ジャケットの下から長々と出しているいる姿も許せない。

皆様、まぁ出るわ出るわ。
ご主人が真っ白のズボンを買ってきて
「体操のお兄さんにしか見えない、やめて」
(体操のお兄さんというか体操の選手かと)
と即、捨てさせたと言った友人。
他におじいさんの半ズボンという人もいた。
男のタンクトップというのもありましたな。
私はもう1つ、ジャージやスウェットでの外出。
私のエリアの中学生は皆ジャージで登下校しているが
これがどうしても許せないっ!!
制服があるだろに。制服はどうしたんだっ!。
こんなだからだらしがなくなるのだっ!と思うのである。
ジャージ通学の言い訳(理由でなく言い訳っ!)
はいくらでもあるだろうが、
汚さないように気をつけること、
立ち居振る舞いに気をつけること、
もちろん大切に服を着ることなど制服から学ぶことは多かった。
靴のかかとはつぶしてはかないとかもある。
さてさて、小うるさい内容でしたが
皆様はどんなこだわりをお持ちでしょうかぁ。