2025/02/28

2月の強攻旅行 3 おばあちゃんとのすったもんだ

急いで下山、荷物を預けたみやげもの屋さんに到着。
私の荷物は無事椅子の上に、
「たった今そこに置きました」状態で放置されていた。
「おばさん、どうもありがとうございましたっ!」
って、誰もいないよ、出てこないよ。
数分待っても誰も現れない。
もう、お金も払わず、もちろん土産物も買わず
ずらかってしまおうかとさえ思った。
と、そこへおばあちゃん、ようやく現れる。

ではここからは会話形式で。
「ありがとうございました。
 で、おみやげ買って帰ります。
 これ2つとこれとね、買って帰るね」
「いくらになるかね? 電卓は…」
「えっ? 電卓?・・・あっ、ここにおいてありますよ、電卓」
立派なレジもあり、その横に電卓が置いてある。
「お客さん、やってください、その方が正確だわ」
「へっ? あっ、そう?(と私、電卓をたたく)
 全部で1770円。もう一度やりますよ、
 460円が2つとこれ850円、合計1770円」
財布から5000円札を出して渡すと
「おつりはいくらかね?」
「おつり? 3230円。見て、電卓。3230円のおつり」
「釣銭、釣銭・・・」
とご自身のポケットやら探り出す。
「おばさん、ここにレジあるけれど、
 この中にお金は入っていないの?」
まるで無視

そんなやりとりをしている間に一人の男性客が入ってきていた。
もちろんそんなことは私には関係ないから
釣銭がわからなくなっているおばあさん相手に必死である。
「わかった、おばさん、ちょっと待って。
 こまかいお金が別にある、持っているからそれを出しますから」
すぐ出せる財布の中には5000円札しか入れていなかったが
別封筒に確か1000円札を入れてカバンに入っている。
更に別小銭入れもあり、細かいお金をいくらか持っていた。
(神社さんをめぐるのでお賽銭が必要と思い準備していた)

その間、もう一人の男性客はまだ土産物を見ている。
私は彼の近くに寄って
「なんだか、しっちゃかめっちゃかだわ」
と彼に聞こえるようにつぶやいたのだが
彼は外国人であることがその時わかった。
通じない、私の疲れたボヤキも空振りである。
(あとで伺ったら台湾の方だった)
話しかけてしまったために、これを買いたいと逆に言われてしまう。
「ちょっと待った! wait! wait! Just a moment!」
と両方に向かって手のひらで制止する私。
「おばちゃん、これ私の1770円、まず収めてね。
 それでこのお兄さん、これ買いたいって、いくら?」

何が買いたいかというと「金刀比羅」と書かれてある提灯。
先のブログにちらりと書きましたが、まったくあかぬけない店。
工芸品みたいのが多くて、こんなの売れないだろうという
そんなものばかりの店に外国人のお目にかなったのが
高さ18センチくらいの提灯だわ、こんなの。
ここに縦に「金刀比羅」だったか「金刀比羅宮」と書かれてある。

釣竿のような棒に提灯の持ち手を通してディスプレイされている。
今どきこんなものを買うのは、そうか、外国人か。
これが10個くらい、色とりどり並んでいて、
左から5番目くらいのがほしいというのである。
「おばちゃん、この提灯、棒からどうやってはずれるの?」
「一個ずつ、ずらしてはずすんだわ」
「えっ、ずらしていくの?」
(ずらしてはずすんかい、私がやるんか? どう考えても私だな)
って、私がやりました。
もちろん、はずした提灯はまた元へ戻す。

台湾のお兄さん、1000円払って嬉しそうに出て行った。
で、私はというとおばあさんが「ありがとうね」
とこちらも工芸品のお箸を御礼と言って渡してくださった。
「これ、縁起いいものだから。病気しないから」
そして「この提灯も持って行きなされ」
と、私がどうやら戻し忘れた提灯を畳んで渡そうとしてくれたが
「いや、おばちゃん、提灯はいらない。
 ありがとう、提灯はいいわ」
それでもくださりそうな勢いなので、
そばにあった温泉タオルを手にして
「だったらこれちょうだい、これ、頂いていく」

私は結局この店で20分近く費やしたのではないだろうか。
もっとかもしれない。
ようやく参道を下まで降りたところで先ほどの台湾の兄さん。
抹茶ソフト片手に提灯持って必死に自撮りしようとしていた。
「撮ってあげるよ」と突然現れた私に驚いたが
現れたから驚いたのでなく、
私が土産屋の人間でなかったのに驚いたらしく
「店の人じゃないの?」
「私もあなたと同じツーリスト!!」

ようやく宿にたどり着いた私が一番最初にしたこと
買った土産物の食べ物の消費期限の確認だった。
申し訳なかったがすぐに見てしまったよ。
あのようすだと15:30すぎ。
私が最初のお客さんみたいだったものね。

2025/02/27

2月の強攻旅行 2 金刀比羅宮

琴平駅を出て数十メートル歩き「げっ、寒いなぁ」
こういうとき、天気予報はなぜか当たるものだ。
白いものがちらほら落ちてくるではないか。
途中でリュックをおろし丁寧に着込み直す。
荷物は軽いが1368段、背負って登るか悩んだ。
まだ100段も登ったか登らないかあたりの参道に
「荷物預かります。杖貸します」
との看板の土産物屋がありふらりと入る。
「荷物預かってくださるというので・・・。
 杖も貸してください、おいくらですか?」
90歳くらいにはなられているだろうか、
まぁ80歳はとうに超えていると思しき婦人。
「今からかね、4時ころには戻れるかね、
 店は5時に閉めるけんね」
 (って、まだ2時前だよ、だから大丈夫と思うよ)
「荷物そこらへん、そうさね、その椅子の上に置いてけ」
 (って、ここで大丈夫か?)
「帰りにおみやげでも買うてってくれりゃいいけ。
 そうさね、2000円ばかり土産、買うてってくれりゃ」

う~っ、駅のコインロッカーにしておけばよかった、
杖もどこかでは100円だったなぁと思いつつ・・・。
せっせと登りながら、
『しっかしまったくあか抜けない土産物屋だったなぁ、
 だいたい何を売っていたか。高くつくなぁ』
とそんなことを考えていた、けち臭い、情けない。

逆光でスミマセン。こちらは785段目になるらしい御本宮。
ほとんどの方はこちらで引き返されます。
しかし私は奥社をめざす、1368段。
本宮から約30分かかった。ずっと雪に降られっぱなし。


奥社からの眺め。
四国は先の讃岐富士もそうだが、平地にポツンポツンと山がある。
私にとって山とは脈を成し、尾根がありというものだったから
このように古事記に書かれてあるような、
天で神様がどろどろしたものを平地に一滴一滴落とし
作られたような山はかなり新鮮な眺めとなった。
これらを車窓から、またこのように山頂から見ていると
これら一つ一つの山に神様がおられると
昔の人は考えたろうなぁと自然にそう思った。

奥社まではぁはぁ言いながら登り、
息も切れ切れお参りを終える。
正直、何をしに来たのだろう…と思わなくもなかった。
お土産屋さんのおばあちゃんとの約束もあるから
早く下山せねば。

2月の強攻旅行 1 まずは丸亀

日本中が寒さに震えていた2月、また一人旅をした。
屋久島行き同様、自分の足が健在なうちに
見ておきたいところ、行ってみたいところへ行こう!
と、かなり強攻計画を作成し旅立つ。
帰ってきて、何もこんな寒い時期を選ぶんじゃなかった
という反省は正直あります、はい。

香川県は丸亀城と金刀比羅宮を目指す。
早朝の新幹線で岡山乗り換え、まずは丸亀城
石垣がすばらしく、その石垣の高さは日本一らしいです。
この「見返り坂」がなかなかしんどく、
私が育った実家も明月院の奥から急勾配の坂があるが
そこを3倍にしたくらいかなぁと思いながら登る。
(と、すごいローカルな話でスミマセン)
先ほど調べたら10度の勾配だそうだ。
お城からの見えた讃岐富士 キュートである。
お城全体の写真はあるけれどあまり良いアングルでもないで
ご興味ある方は公式サイトでどうぞ。
午後、琴平へ向かう。
スマホで確認した天気予報では傘マークがついた。
イヤな予感…

2025/02/12

お墓参り

父の命日も近いので池上本門寺へ行ってきた。
父の墓の側に幸田露伴・文子の墓があるのでこちらもお参りした。
私が多くの人にお薦めする本の一つに
幸田文の娘、青木玉著『小石川の家』がある。
親にきちんとしつけられてこなかった私には
ひとつひとつがシャキッとするエッセイで
初めて読んだときの自分のオロオロさが忘れられない。
祖父である幸田露伴が孫娘の行動を注意するのだが
お釈迦様の話を引用したりして
けちょんけちょんに言われまくるのである。
母である幸田文もなかなか厳しい。
だがユーモア もあって大好きな本である。
これが自分の親だったりしたらいやだなぁと
何度となく感じていたのだが
現在幸田文の『父・こんなこと』を読んでいて
こちらに書かれてある露伴はもっと難しい人で
本当に本当に娘であった文は大変だったろうと思った。
玉さんは孫だからなんとなくワンクッションあったかと
この『父・こんなこと』を読んで感じた。

で、現在進行形で読んでいたので、同行していた夫に
「ちょっと幸田露伴と文のお墓へ寄ってくる」
と言って手を合わせに行ったという次第である。

露伴のお墓を横に見てまず文子さんに手を合わせる。
「昨年から今年にかけてご縁があって文子さんの本
 3冊読んでます。現在『父・こんなこと』を読んでますが
 大変でございましたですねぇ、あのような父親じゃぁ。
 たまったもんじゃありませんねぇ。
 ご苦労なさったでしょうねぇ」
その後にくるりと振り返って露伴の墓に
「なかなか厳しかったですねぇ。
 しかし文さんは文章がうまいですね。
 えぇ、露伴さんの本は一行も読んだことないです」

あぁ、すっきりした、と本門寺の階段を降りていたら
なんとなく文子さんが
「あなた、父より先に私のお墓に手を合わせましたね」
という声が聞こえてきた気がした。
ゲッ、怒られてしまった。
文さん、やはり父上を敬愛されてます。

2025/02/10

大室山の山焼き

寒い日が続いています。
ずっと書いてなかったね。
もう2週間たちますが、1/26のNYコンサート
無事終了しました。
無事? いや無事ではなかった、私。
長いギター人生で楽譜を忘れてきたという大失態をしてしまった。
これほどのことをすると驚きが大きすぎて
すぐには言葉も発することができないことを知った。
「どうしよう! 楽譜ないっ! 忘れた!」
とか言葉がいっさい出なかった。
幸いデュエットをご一緒くださる青木先生がお持ちでしたので
まったく本番はつつがなく進行しましたが
おっどろいたなぁ~。

コンサート前はかなり暇でした、というのがほんと。
静かな変わりのない生活でしたので
ブログネタはあまりなく更新できなかったというところ。
インフルエンザも流行しているというので
不要不急の外出は極力しなかった。
ジムにもいかなかった。
デュエットなので相手があることですから
迷惑をかけてはいけないですから、はい。

昨日、始発から2本目の電車に乗って伊東へ。
大室山の山焼きを見に行ってきた。
大室山は20代のころよく行ったのだが
このような行事があることは昨年初めて知った。
なんでも700年続く春の風物詩だという。
小田原から熱海へむかうころ、ちょうど日の出を迎え
車窓からの朝日はすばらしかった。
はい、写真、撮っていません。
何もない根府川の駅のホームに大勢の人が写真を撮っていた。

さて、山焼きですが、まず9時15分頃から
山頂のお鉢の山焼きがスタートする。
山頂にあがれるのは600人と定員があり、
私はその定員のぎりぎり、最後あたりだった。
職員の方と話をし、リフトで山頂につく頃には
ほぼ焼けつくされてるかもというので行くのをやめた。

お鉢の山焼き、下からは煙だけ
お鉢の山焼きを終え、山全体に火をつけるのは12時だという。
それまでの約2時間半待つことにした。
日差しは温かなのだが少し風が吹いていて寒かったが
11時ころからはほぼ無風。
10時半ころにあきらめて帰ろうかと思ったが待ってよかった。
う~ん、ズームで撮影したが小さい。
山頂から松明を持った人が歩きながら火をつけていくのだ。
これが早いのである。私はその降りていくスピードに驚いた。
実は私、若かったころ歩いて上った経験がある。
(今はだめらしいです)
遠目には緩やかな傾斜に見える山だが
実際に歩くとかなりの傾斜であり
歩き始めると山頂がどのへんなのかもわからない。
今自分はどのあたりにいるのかがわからなかった。
なかなかしんどかったことを覚えていたので
この傾斜をこの速さで松明を持って降りるのかぁ。

そしてふもとからも火をつけていく。
とにかく音がよかったよ。動画は撮ったよ。
赤い炎、横にも縦にも大きく
私はこんな火を、こんな炎を見たのは初めてだった。
ほぼ20分で山全体が焼き尽くされた。
素朴に感動。
気が付くとはらはらと空を舞った火の粉を皆がかぶっていた。