2024/11/17

屋久島いきました 余談

山歩きの大切なマナーに挨拶があるのは皆さまもご存知。
途中追い越していく人々の中には
先にも書いたジブリ聖地訪問らしき外国人もいたのだろう。
「こんにちは」「ありがとうございます」
美しい発音とイントネーションだった。
はじめのうちは
(この人たちは日本で生活しているのかな
 日本語がうまいなぁ)
と思って挨拶をしていたのだが
挨拶する外国人のほとんどがそうであった。
昔のような
「コンニチワ」(「ニ」にアクセント)とか
「アリガトー」(「ガ」にアクセント)
な~んて人は一人もいなかったのである。
すごいな、ここ数年の日本文化の浸透。

私が話をしたジブリ聖地巡りの青年は21歳イスラエル人。
一人旅だから話し始めたら、まぁ止まらない、止まらない。
2か月かけて日本をめぐったそうで
今日から最後の5日間を東京で過ごすという。
「東京にいるなら鎌倉へも行ったら?」
「???」と鎌倉を知らなくてスマホに
「ひらがなでかまくらって打ってほしい」と言われる。
で、2か月どこへ行っていたのかと聞くと
「名古屋、京都、奈良、田辺(理由を聞きそびれた)、
 青森、湯布院、屋久島」
なんで、ここでいきなり青森なの?
青森は農業体験ボランティアだというのだ。
ジブリ好きで農業体験? 
「だったら『おもひでぽろぽろ』観た?」
はいっ、思いでぽろぽろ、通じません。
スマホの吹き込んでと言われる。
彼はなんだか一生懸命スマホで調べ始めてるから
山形に口紅のお花を・・・と映画の説明を私が始めたら
「それを観たからそれがやりたくてネットで探した。
 とても感じのいいやり取りをしてくれた農家があって
 行く事にした」と話してくれた。
で? この映画はなんて言うの?
『only yesterday』というそうです。

さらに余談ですが、寝ながら歩いた彼女
「ねぇ、いくらお金持ってきたか聞いて」という。
えっ? そんなこと聞くの?  だったら自分で聞いてよ。
「私に聞けっていうの? いやだよ。
 そんな無粋な、失礼なこと聞けないよ!」
「聞いてよ」
致し方なく何度も「She wants to know,
she、 she wants to know, not me…she wants」
と前置きしてお尋ねしましたら80万だそうです。
このために3年働いて貯めました。
この青年のスマホの打ち込みの早いこと。
しゃべりたいことはあっという間に打ち込んで
日本語訳を見せてくれました。
便利になったなぁ~と実感したおば(ぁ)さんたちでした。

長きにわたる屋久島忘備録は終了です。
お読みくださった皆様、ありがとうございました。

2024/11/16

屋久島いきました その6

大変気にしていたが私が最年長ではなかった。
たしかに我々を抜いてもらうグループはほとんど若い。
あっ、ちなみにですが、毎日ほぼ200名の人々が
同じ時間帯に縄文杉へ向かって歩き出す。
つまり同じ方向へと進んでいるのですれ違うことはない。
(すれ違うのは山泊して下山する人くらい)
縄文杉折り返し近くでいくつかのグループとすれ違うのみだ。

我々が下山開始後しばらくして登ってきたグループ
先頭のガイドさんがすれ違いざまに声をあげた。
「うちのメンバーに声援をおくって~」
う~ん、私より10歳近く上の男女のグループだった。
ちょっとしんどそうであった。
ご本人たちもだろうが引率するガイドが
「ファイトと声をかけてあげてくださ~い!」
私のグループはその次ぐらいの高齢者だったかと思う。

明日帰るという3日目の夕食時に
初めて皆さんの年齢を伺ったら
6人中3人が同い年という偶然であった。
私もその一人で上から3番目という
つまりほぼ同世代が集まったツアーだったのである。
最年少が寝ながら歩いていた私の2歳下の女性だった。

今でも来年の私に同じことができるだろうか
と思っているのは事実で、体力・精神力に自信はない。
日頃から山歩きをしている人なら大丈夫だろう。
往復22キロはまったく問題はないトレッキングかと思う。
しかし何となく、そういう方々はなにも
縄文杉を見に行こうなんて思わないだろうなぁと思うわ。

やはり外国人もそれなりいて
なんで? と聞いてみたら、ジブリの世界なのだって。
もののけ姫の世界なのだって。
へぇ、おばさん、知らなかったよ。


2024/11/15

屋久島いきました その5

翌日は白谷雲水峡トレッキングであったが
雨がひどく全コースは無理ということで
半分で引き返したがもうぐしょぐしょ。
雨具は上下着ていたがびしょびしょ。

トレッキングと昼食のあと
ようやく(?)お土産屋さんへ連れて行かれる。
私は1日目の夕食に出たあごの薩摩揚げを
と思ったのに、ないっ、ないっ、ない~っ!!
お店の人にたずねてもさっぱりだ。

夕食時に宿の給仕してくださった女性にきく。
「薩摩揚げをお土産に買いたいのに売ってなくて」
「鹿児島空港とかにたくさんあるでしょ」
「(質問が明確でなかった!)それ、普通の薩摩揚げ。
 そうでなくて1日目の夜に出てきたあごの薩摩揚げ。
 観光センターには売っていなかったので」
な~んと、すり身を買ってきて自分で揚げるのだって。
そういえば冷凍のすり身が売っていたなぁ。

翌日空港の小さな売店で売っていました。
買ってきました、買ってきました。
これ、すこぶるおいしい。
裏面に教わったように自分で小判型にして揚げるよう説明があった。
もちろんこのままお吸い物にしても美味。
でもなぜ薩摩揚げに商品化したものがないのかなぁ。
なんだかギラギラと観光地化されていないところが
屋久島の魅力といえるから、まっ、良いか。

これ以外に焼酎2本しょって帰ってきました。

2024/11/14

屋久島いきました その4

黙々と歩きながら考えていたことは
『いったいどこをどう鍛えていたらよかったのだろう』
ということだった。
我々のグループの後ろに他のグループが追い付くと
「どうぞお先に行ってください」と
登山道の脇によって抜いていってもらう。
(うちらのグループより若いな)
そんなことはどうでもよろし。
抜いてもらうほんの数秒でも停止するのだが
では、と次に歩き出す一歩が少ししんどくなる。
で、どこを鍛えればよかったか。
私自身の結論は(というほどのこともないけれど)
精神力だったかなと思う。
体力より気持ちの方が弱っていたと思う。
先にも書いたが最初の2時間で最後まで歩けるか不安になった。
段差が大きくなった後半の登山で私は何度か
「帰りはここ、降りなくてはいけないのですよね」
と言うものだから、ガイドさんから
「まずは登ってください。
 登って下りれなかった人はいません」
と言われてしまった。
この解説ですが、一番右のデッキにこの看板がある。
一番左の縄文杉の右、人がいるでしょ。
このくらい大きいということ。

私のすぐ後ろを歩いていた一人参加の女性は
往路のトイレ休憩のときに
「ねぇ、眠くならない。もう私眠くってさぁ」
と私に言ってきた。ヒェ~である。
「とんでもない! 私は歩きとおせるか
 不安と緊張で眠くなんてならないっ!」
ちなみに彼女、復路のトロッコ道では
とうとうドタッと転んだ。
「すみません、寝てました」ってさ。
寝ながら歩いていたんだ、すごいな。

2024/11/13

屋久島へいきました その3

こんなことも書くかと思われる方も
忘備録として書いているのでご勘弁を。

2時過ぎに目が覚めてから何を一番にしていたかというと
お腹のマッサージでした。
便秘症ではなく、いたって毎朝朝食後に排便できているが
このようなイレギュラーの日はどうしようと思う。
4時出発時に宿から朝食用と昼食用の弁当を渡される。
5時台に登山口で朝食食べることになるのだが
その前に何とかならないかなぁとお腹に手を当てるが
結局腸は動かず排泄できなかった。

5時半ころ登山口で朝食のおにぎりを一つだけ食べる。
トイレが心配で食事も喉を通らない(?)
(バイオトイレはこの先2カ所しかない
 もちろん携帯トイレは必需品とあるので持参)
そして6時、ガイドと我々6人
(ご夫妻、義姉妹、一人旅の二人の女)
真っ暗ななか、ライトをつけて歩き始めた。
片道11キロのうち8.5キロはトロッコ道。
緩やかに登っていく(700m)約2時間半だ。
私は2時間もしないうち正直不安になった。
『今日、あと5倍、私は大丈夫だろうか』
ちょっと右足先が痛いかなぁ
幸い天気は悪くない。
月に35日雨とか言われる屋久島である。
ガイドの話だと今日はここ数日の中で一番良いという。
前日はこのトロッコ道、ほぼ川状態だったとか。
トロッコ道が終る最後のバイオトイレ休憩地まで
雨具を装着することなく歩くことができた。

ここから2キロ強700m、ストック頼りに登山。
たいした雨の降りでもなかったので
雨具は上だけ着ることにした。
先のブログに書いたように
もしかするとこの6人の中で最年長かもと思っていたし
山歩き経験もないので
ガイドのすぐ後ろを歩かせてもらった。
ストックの握り方もだが、
はじめのうちは彼と同じところにストックをついて
左右の足も同じように歩いていた。

『なんでこんなところへ来てしまったのだろう』
という気持ちに正直なった。
雨は降るわ、見晴らしがよいわけではないわ
11時ころに縄文杉に到着したような気がする。
おっと、写真ね(相変わらず写真を撮らない私)
ねっ、遠いから、どれだけ太いかよくわからない。
ズームで写真を撮らなかったのかぁとも思うが
さほどの感激もないまま11時半から下山開始。
レインウエアとともに傘も持って来いとあったが
なるほど、お弁当は傘をさして食べねばならぬ。
「ひどい雨だとおにぎりもおじやになる」
とガイドはぽそりと言っていた・・・・
トロッコ道で痛いかなと感じた足先は
登山では使い方が変わったのかまったく痛まなかった。

2024/11/12

屋久島へいきました その2

九州は長崎より先へ行ったことがなく
鹿児島空港での乗り継ぎ便の掲示板をながめ
アナウンスを聞きながら遠いところへ来たなと思った。
いろいろな離島へ飛ぶ飛行機は
視界が悪いと着陸できないし
あちらから飛び立ってこなければ
こちらからも行かれないのですね。
当然のことだけれど知らなかったことなので
『そうなのかぁ』と新鮮な驚き。
プロペラ機に乗るのはなんで五島列島以来かなぁ。
屋久島着陸直前は夕陽がきれいだった。
宿泊は田代別館 

お料理はシンプルだが非常においしかったです。
ひとくちかじってしまったが、あご(トビウオ)の薩摩揚げ
これがとってもとってもおいしかった。
『みやげはこれにしよう!!』
(と即思ったがこれがねぇ…となる)
古いお宿でしたが、そのためか(?)、
隣室の気配がまったく聞こえない。
テレビ音とかドアの音とか
壁の薄いホテルだと聞こえるが
まったく静かであった。

1日目の夕食後は明日の早起きに備えてカームダウン態勢。
なんといってもお宿出発4:00なので
3:00には起きていないと。

2024/11/11

屋久島へいきました その1

書きましたように乳がん手術を今年したので
温泉好きとはいえなんとなく温泉に抵抗感があった5月頃。
それでもどこかへ行きたいと思っていた。
以前から行ってみたいと思っていた縄文杉。
行ってみようと決断した。
自分の足でしか行かれない、見られないところ。
そういえば32年前も術後に富士山に挑んだな。
これも自分の足でしか行かれないからだった。
(これ、7合目一泊で引き返し。
 風速20メートルを超える風となり下山)

屋久島縄文杉は、行ったことある知人も
申し込んだツアーの案内書にも
「からだは鍛えておきましょう」

術後休会していたジムには7月から復帰。
7月8月は家にいても暑いから時間が空けばジムへ。
しかし9月からは咳の症状があるのでほぼお休み。
からだはおそらく振り出しへ戻ってしまった。
10月は咳のコントロール(?)もなんだかできたが
コンクール準備もあってジムにはほとんど行っていない。

縄文杉のトレッキング。
ご存知ない方のために簡単に説明すると
標高差はさほどではないが
(歩き始める荒川登山口から縄文杉の標高差は1400m)
片道約4時間半、一日10時間歩かねばなりません。
屋久島行きを決めていろいろツアーを探っていた時
どこかのサイトで「75歳の方も挑戦しました!」
みたいな一文を発見し、初めて年齢を考えてしまった。
私は60代前半だが
(もしかしたらツアーの中で最年長かもしれない)
この脅迫感はツアー最終日までついてまわった。
足手まといになってはいけない。
だいたい体力に自信があるもないもよくわからない。
なにをもって自信があると言えるのか。
期待とか、楽しみだなぁという感覚が育つことなく
コンクールの2日後に屋久島へ行く。

2024/11/09

ひとまずひとまず

やっとのんびりという感じになった。
もう3週間も経ってしまったが10/20に開催した
第42回スペインギター音楽コンクールは
おそらく過去最高の来客数だったと思う。
(昨年のは特別なので除外です)
私はいつものように受付を中心とした役目があったので
出場者の演奏はモニターを通してかろうじて聴ける
という程度でいつも残念なのだが
ギタリストの登竜門として存在価値が大きいこのコンクールに
毎年いろいろな思いをし、多くのスタッフと準備し
無事終了した段階でひとまずほっとする。

2か月前からギャ~ギャ~書いているからだのことは
今のところ消化器内科の「ただのわかぞう」先生から
「胃はきれいですが逆流性食道炎ですね。
 薬飲んでください、3か月後にまた」
ということになり、おだやかな呼吸器内科の先生も
「こちらの治療をして、咳がどうなるか様子見ましょう。
 僕のところへは1か月後にきてください」
というわけで、自分の意思でたらい回しをした結果
「逆流性食道炎による咳」であったということで
ひとまず、ひとまず。
う~ん、夏にアイスを毎日食べたのがいけなかったか
食生活は気をつけねばなぁ~
関係あるかは定かではないけれど。

さて最近は連日冬瓜を食べている。
冬瓜もいろいろあるそうで、こちら沖縄冬瓜というらしい
はい、大きさがわかりませんね。
長さが40センチ、ウエスト60センチ、重さ約9キロ。
切らなければ冬瓜というくらいだから冬まで十分もつだろうが
切ったら冷蔵庫だし、弱っていくので食べねばならぬ。
というわけで冬瓜が主食っぽい日々。
今日も鍋一杯煮ています。