2023/12/31

運命の人

まったくの私事だが、忘備録ブログなので書いて残しておく。
一生で出会う人々は多かれ少なかれ影響を与えてくれる。
いつもそう思って生きているが、
私くらいの年齢に達し自分の人生を振り返ってみたとき
『運命の人』だったなと思える人が数人いるなぁと思うことがる。
この人によって自分が方向づけられたという運命の人。

今年その運命の人3人との別れがあったと思わざるを得ない。
そのうち二人は死別である。ご高齢で他界なさった。
ひとりはギターの恩師である。
生前に既に良い別れ方でなかったから近年交流はなく
人づてに訃報を知った。
まだ確認はとっていないがこの方については触れない。

もう一人は…この方についてどこからどのように書いておこうか。
この方の訃報を聞いたのは数日前。
彼女とのことを思い出すとすっごく濃厚な接触だったが
期間としては私が19~20歳くらいの2年間くらいだったのではと
今現在自分自身でとても驚いているくらい短かったと思う。
年齢差は30歳くらいだから当時の彼女は50歳くらいだったのか。
彼女は鈴木メソッドのバイオリンの先生だった。
我が家の近所に彼女にバイオリンを習っている美少女姉妹がいて
ピアノ伴奏者として私の兄が紹介されて交流が始まった。
そして彼女が卒業したばかりの私の母校の弦学部のコーチで、
しかも娘二人(私の4歳と6歳下)をその学校に通わせていると。
つまり私の後輩ですね、娘二人は。
すでに弦学部の指導は辞めておられたと思うが
私は在校中に「弦学部に外から教えに来ている人がいる」
ということはなんとなく知っていた。
そんなことで私たち兄妹とそちらの一家との交流が始まった。

私はそちらの妹の方の家庭教師になぜかなっており、
それもあってとにかく週1回は伺って
勉強して、夕食をごちそうになり、
8時ころに家まで車で送ってもらっていた。
そのことは今思い返しても、
妹の方に家庭教師が必要だったわけでなく
たぶん悶々と生きづらそうにしている私を
解き放そうとしてくださっていたのではないか。
今はそんな風にしか思えないでいる。
何よりも感謝しているのは
中途半端な年齢で不安定な私を
対等な立場でずっと接してくれたことだった。

年齢的には自分の娘たちとさほど変わらないし
彼女が指導していた弦学部の生徒の名前をあげると
「○○さんと同学年なのね、おねさんは(私はそう呼ばれていた)」
と、当然私を子ども扱いをしても不自然ではなかったと思う。
実際私は彼女を「先生」と呼んでいたし、
少し年下ではあるけれど妹たちのような娘たちのお母さんは
私にとっては「お友だちのお母さん」的であったわけだ。
しかし先生は私と二人だけの時はご自身の経験を語ってくれて
その話の奥には私が父との関係でもがいているのを
ご自身もそういう時期を長く過ごしていたから、
語ることで私に寄り添ってくださっていたと思う。
私の就職も結局彼女のお世話になり
またそこで私は別の運命の人たちにも出会うことになった。
(その方々はご健在。そちらから訃報を伺ったというわけです)

2年、いやもうじき3年になるがその彼女に
30年ぶりくらいに私は会いに行った。
しっかりと抱きしめてくれて
「おねえさん、もう私90よぉ~、すっかりおばあさん」
いえいえ、若いころにたくさん山歩きされて
今も八ヶ岳に一人で暮らしていて
現在娘たちが暮らす鎌倉山をたまに訪れる生活。
この鎌倉の家も山の中でアップダウンはきつい。
足腰はしっかり、からだもまだまだがっちりされていた。
90歳の彼女を見て、つくづく足腰、お尻が大事と思った。

当時の話をし、感謝を伝えられて良かったと思う。
私を子ども扱いせず、大人として話をしてくださっていたこと
いつでも温かく迎えてご飯を食べさせてくださったこと
とても感謝しているとお話しした。
「お姉さんにそう思ってもらえてお母さま良かったねぇ」
とこちらも30年ぶりくらいにあった妹さん。
私が入り浸った当時、ジュンという犬がいて
長女がヴィタリのシャコンヌを弾くとそばに座り
彼にとってのサビの部分になると必ず歌った。
ちゃんとその部分まで聞いて待っていて
そこへ来ると歌うのであった。
「そうだったわねぇ~」
楽しい再会だった。
最後にもう一度抱きしめてくれた。
あちらの世界で、ダンディなおとうさまと
再び仲良くしておられることを祈ります。
(3人目の運命の人についても触れず)

補足
歌手のKANさんが亡くなったことも書いておきます。
ファンだったというわけではないが
新婚時代のKANさんの奥様と
ほんの少し交流があった時代があり
2~3回、KANさんが運転する車に
600メートルくらい乗せてもらったことがある。
昨晩『愛は勝つ』をテレビで聞いていて泣けてしまった。
別の星に行って、いや帰ってしまったKANさんです。

2023/12/27

つけペン

ちまちまと片付けというか、整理している。
まぁ、大掃除の一種です、はい。
たとえば引き出し3つずつとか、
カレンダーを取り換えるついでに壁を拭く、とか。
それで、文房具を入れている引出しに
な~ん十年前、おそらく父が使っていたと思う
Pilotの壺インクとペン先とペンがあり
昨晩初めて使ってみた。
つけペンというのですかしら。
持ち手の太さが微妙で握り慣れず
日記を一頁分書いてみたが
もともとミミズ以下の字なのに
さらに読みづらい頁となってしまった。
このペン先は今日も使えるのでしょうか。
音がいいなぁ~、カッコいいなぁ~。
『エデンの東』でお母さんがキャル(J.ディーン)に
手袋も外さずに書斎机でサインするシーン
なんだか思い出してしまった。
ひと浸しで案外長く書けるのにも驚いた。
そうなると自然と書くことがもうないのに
インクが枯れるまで書こうとして
新しい文章を書き始め、
文が終らないうちにインク枯れ
インクを浸し・・・とエンドレスとなる。
しばし修行してみます。

2023/12/16

しゅと犬くん 買ってしまいました。

私はまったくキャラクターグッズなどに興味はないのだが
こんなものを買うてしまいました。
NHKの18:50ころのお天気コーナー直前に出てくる
『しゅと犬くん』です。
日頃テレビで(こいつはかわいいなぁ)とは思っていた。
コンクールの準備で忙しかったある夜
x(旧Twitter)でしゅと犬くん(フォローしていました)が
販売されるというので、思わずポチってしまった。
相当疲れていたに違いない・・・。
彼はちょっとした角度で元気なさそうだったり
不細工だったり、かわいかったりするのです。
ねっ、違うでしょ。違わないですか?
私には完璧違って見えるのです。
というわけで、こんなもの買ってしまい、
話しかける相手が増えてしまいました。
あぁ。。。 

2023/12/15

卵かけごはん

12月のこの時期だけ、うちとしてはぜいたくな
少し高いスペシャルなたまごを買います。
ふふ…っ、大好きな卵かけごはん
ふだんも私は卵かけごはんが好きでよく食べるけれど
夫はそうではなく、しかしこのスペシャルたまごの
今の時期だけなぜか毎朝食べているのです。
で、私がニコニコしながら茶碗に盛られた白米の
真ん中に穴をあけているのを見て夫は
「真ん中に穴をあけるのですか」
私は子どもの頃母からそう教わった。
黄身がおさまるようにって。
修学旅行へ行ったとき、朝食で器の中の卵があり
友人がそこに卵を割っていたのを見て
初めて(別の器で作るのかぁ~)と知ったのでした。

その子は作るだけ作って食べなかった。
どうして?と聞いたら「作るのは好きだけどいらない」って。
(食べないなら作っちゃだめだよ・・・)と思ったり、
他にも誰かが
「ご飯にお味噌汁とかかけて食べるとか、やらない?」
と発言し、すごい勢いで
「そんなことしない!!」と言った子がいて
お下品な食べ方と言わんばかりだったことが思い出されます。
ちょっとした食事のしかたやお弁当の中身とかで
それぞれの育ちや食生活のレベルの違いなどが垣間見られ
それはそれでおもしろかったなぁ。
私がサラダにマヨネーズとかでなくて
「ねぇ、いつも小さな別のタッパーに
 お手製のドレッシングもってきていたよね」
と何十年ぶりかで話してくれた友人がいて
そうだったなぁ~と思い出したりしました。
ご飯とおかずのお弁当箱のほかに
レタスなどのサラダのタッパーと
ドレッシングのタッパーと3つ持っていっていました。
私は私で、小さなアルミホイルが
何個も何個もお弁当箱に入っている友人を
すごくうらやましく思ったりしましたし。

話がそれてしまいましたわ。
というわけで、うちでは卵は直接ご飯の上に割ります。
そうでないの?
卵かけごはん用の醤油も一度買ったことがありますが、
やはりずっと育った味が一番で
私は味の素をかけてから醤油です、幸せっ!

2023/12/03

暗い話ですみません

先日の新聞(11/19 日経)に高齢独身女性の割合が高く
しかも貧困率が高いというデータが載っていた。
ひとり温泉のお供に持っていた本のうちの1冊に
10年前NHKで放送し本になった『老後破産』もあり
貧困高齢者の生活はは10年経っても同じという読後感があった。
そもそも本に登場した高齢者には
「まさかこんなことになるなんて」というくらい
真面目に働いて生活してきた人もいたのである。

病があったりでなかなか外に出られないとか
お金がないから人との付き合いも自ずとできなくなると
当然だが孤独、孤立にもなる。 
そして当然だが孤独と孤立はちがうものだ。
孤立は一人暮らしかとか、友だちや家族はいるか
というような客観的なこと。
孤独は本人が感じる、認識する感情だと思う。
で、また新聞記事(5/22日経)登場ですが
これは外国の調査によるものらしいけれど
社会的な結びつきが強い人は
弱い人に比べて生存率が50%高い。
社会と関わらないと運動不足や肥満が
飲酒や喫煙と同じくらいリスクとして高くなる。
当然と言えば当然だ。その記事には
「孤独が1日あたり15本の喫煙に相当する」
とまで書いてあった。

孤独感を持つのは日本人の中でもで圧倒的に若者層で高い。
NHKのヒューマニエンス5月放送の友情の回。
そこに出ていたデータでは日本の若者の孤独感が
世界の若者と比べてダントツ1位であった。
2位以下が10%くらいなのに30%くらいあった。
考え方で孤独か否かは違ってくるが
本人が孤独だと感じているのだから孤独。
私も人生の中で孤独を感じてきたことはもちろんある。
がっくりと落ち込むこともあるわけだが
そんなとき、人はどんなときも孤独なのだと
自分自身に言い聞かせる方が多いかな。
だってしょうがないではないか。
誰のせいでもないのだもの。
私自身が私自身を孤独にしているのだから。
なんか、暗い話でスミマセンでした。