2022/11/25

何も見えてない、ただ感じるだけ

 2年半前、コロナによる緊急事態宣言が出て
人々が毎日訳も分からず自粛生活をしていた時、
それはGWが始まろうとしていた4月末のある夜、
長年米国暮らしをしている中学・高校時代の友人の訃報が入った。
それまでも数人の同窓生の訃報があったが
その友人はかなり親しかった友であったので
あまりの突然の訃報に泣き崩れた。

訃報は友人からのfacebookのメッセンジャーから入ったもので
丁度入浴中だった夫は、風呂から出たら私が
ウォンウォン泣いていたのでさぞかし驚いたろう。
ひとしきり泣いた後、おそらく普通に寝床に着いた。
当時私は早朝5時前から40分くらいジョギングしていたのだが
翌朝もいつものように走りに行った。
(うん、大丈夫、一晩で立ち直った・・)と思いながら走っていた。

しかし突然、走りながら涙がとめどもなく流れてきた。
何かを、ましてや具体的に彼女を思っていたわけではなかったと思う。
それなのに突然涙があふれ出し止まらない。
そのこと事体に頭にきた。
とっさに私は心の中で彼女に叫んだ。
『いったいそっちから何が見えているんだっ!!』
すると
『何も見えていないよ。ただ感じるだけだよ』
何? 今のは。と走る足も止まってしまった。
聖パウロが突然、キリストの声を聞いたのと同じようだった。

彼女は今年8月ようやく日本に戻った。
偶然にも我が家と同じ霊園に墓地があり、納骨後に訪れた。
先日、夫が墓の掃除に行くというので
3か月ぶりに行ったのだけれど
巨大な霊園、似たような並び。
○○区○○番というメモは家にあり・・・
この列だったかなぁ~、違うなぁ
次の列かなと歩きながら、8月写真を撮ったことを思い出した。
彼女の家の墓石には『○○家』と彫られていないので
どんな墓石だったかを確認しようと立ち止まり
スマホを取り出してチェックする。
写真を見て(そうだった、この墓石)とスマホから目を離したら
目の前にその墓石があった。
立ち止まったのが彼女の墓の前なのに
スマホ操作をしてしまったのだった。
「やだぁ、バカだなぁと思ったでしょう」

私は彼女が応えてくれた先の言葉を信じている。
それまで多くの人がもっているかもしれない
『死者は我々を見守っている』という考え方を
おそらく私ももっていたと思う。
しかしあの日以来、そうではないと思うようになった。
そしてあの日以来、なるべく毎日彼女を思うことにしている。
あちらからは何も見えていないのだ。
だけれど誰かが彼女を思うと
それを彼女が感じるのである。
彼女はいつまでも私の中で生き続ける。

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