2025/06/27

株主総会に行ってきた

何年かぶりに株主総会へ行ってきた。
今までにも何回も行ったことがある会社だ。
他の会社はほぼ行ったことがないと言っても過言ではないので
この会社の総会の雰囲気しかわからない。

私は父が経済の専門家だった。
就職し1年経って普通預金に小銭がたまった。
「定期とか定額とか、金利の良いのはどこか教えてください。
 しばらく手をつけそうにないお金がある」
と父に相談すると
「いくらあるんだ」「15万」「株にしろ」
ということで株投資人生がスタートした。

当時は15万円のはした金では1社の株はとても買えなかった。
父が投資する株の数パーセントを分けてもらう方法。
自分で銘柄も探せずおんぶにだっこでお金を動かしてもらった。
(現在は父ではなく夫に代わっており、
 結局私は銘柄探しもできないまま老齢化しました)
しかしとにかく父は専門家なので心得だけは教わり
今でもしっかり覚えている。

1.一生持ち続けようと思える会社に投資しろ。
2.明日必要なお金のためには絶対やってはいけない。
  使わないお金でやること。
3.購入したら売値を考えておけ。
  もっと上に行くかもと思って欲を出してはいけない。
  1円の浮き沈みで泣くことになる。

忘れもしない初めての投資は「三井東圧化学」157円
16万円くらいで買えたわけです。
『これを一生持っていればいいのかぁ
 何をしている会社なのかなぁ
 大船に会社があるし、まぁいいか』
一生どころか数年で利益確定で売り、
今、この会社は存在していない。

で、今回総会に行った会社はこの父の心得「1」に一番沿っているか。
とにかくこの30数年の株購入歴で一番印象に残っているのが
今書いた三井東圧とこちらの会社なのである。
この会社が上場するときに夫が購入を強く推した。
通っているジムでの友人が若いがその会社の役員をしていて
投資したかったようである。
金額は覚えていないがかなりまとまった額だった。
私は「え~っ? そんなお金ないよぅ~。
定額おろさなければないよぉ~」
「解約、おろす!!」
「ひぇ~、解約してまで買わなくちゃなんないのぉ~?」
25年くらい前のことです。

つまり25年くらい前の上場当時からこちらの株主総会は
スケジュールが合えばちょこっちょこっと顔を出していた。
一時期お土産目当てに大勢来ていたが
お土産を出さなくなり、私も行かなくなり、
私は10年ぶりくらいに今年行ったことになる。

いやぁ~すごい人であった。
質疑を聞いていて株主のこちらへの会社愛が伝わりましたなぁ。
他の会社の総会へはほとんど行ったことがないので
どんな雰囲気かわからないけれど
聞いていて面白かったなぁ。

株主優待がすばらしいので有名な会社。
だから一家家族皆が保有している場合も多いのだ。
しかし例えば電鉄会社のように
保有株数が100株以上は優待乗車券〇枚
500株以上は〇枚、などのような差がなく
最低500株以上を保有しないと優待は受けられない。

当然この点について質疑があった。
「NISAで投資する人も多くなったので
 500株に満たない株主にも優待を出すことはないのか」
というものであったが会社側はきっぱりと否定。
ちょっと軽いヤジが飛んでいたが
私はそれでよいと思ってる。

過去に出た総会で現会長である社長の発言が
強く印象に残っている。
「優待が良いのは、株主にこの会社を愛してもらい
 いつまでも(株式を)持っていたいと思ってもらいたい。
 長く保有していただくことを考えてる」
というようなことをおっしゃっていたからだ。

私はこの会社のクセのもっのすごく強い社長(現会長)も
ちょっと気に入っており
「私は以前の貴方の発言を覚えていますよ。
 方針を変える必要はないですよ、がんばれ~」
と言いに行きたかったくらいだった。
でも言ってきたよ。出口で案内している社員さんに。
メモりながらよろこんでくれたよ。

2025/06/04

靴を捨てる決断ができない

靴を捨てて買い替えるか迷っている。
買い替え?と思う人もいるかもしれないなぁ。
好きに買えば?と。

靴をたくさんは持っていないと思う。
家が、いや玄関が狭く、だからと言って
玄関に靴を何足も出してるのはだらしない。
必ず下駄箱にしまう。
しかし下駄箱も小さいので
そこに納まりきれないほどの靴は持たないことにしている。
独身のころはたくさん持っていた、と思う。
家も玄関も下駄箱も大きかった。
駅までの道のりが長く、靴は消耗品で
今のようにスニーカーの時代ではなく
パンプスが主流だったから、
靴底のゴムの取り換え修理をしながら
日々取り換えて仕事に出かけていた。

今はといえば、スニーカーなどのカジュアルシューズ。
靴とはいえ私は物持ちが良い方だ。
どれも数年履いているものばかりで
もし廃棄するとなると、その廃棄の基準が問題だ。
どんなに安い靴でも丁寧に履いてるつもりなので
あまり汚れていない。
靴底もそんなに減っていない。
ではどこにそんなに捨てるかを迷う要因があるか
ということなのだが、かかとの部分といったらいいのかな。
靴のかかとの縁と内側が擦り切れてきた。
だから履いていてもおそらく人からは
ひどい靴履いてるなぁ~とはわからないだろう。
ただね、どこかで脱ぐとぼろくなっているのが
わかってしまうのである。

で、今その擦り切れが多かれ少なかれあって
捨てるかを迷っているのは3足。
この1足を捨てるとなると、その判断基準では
この靴もこの靴も捨てることになる・・・
と思うと捨てる決断ができないのである。
靴底はすり減っていなしなぁ~
見た目にも汚れがひどいわけでないしなぁ~
人は足元、足元を見るというから
靴は非常に重要なアイテム。
内側だからわからないと思って履いていった温泉宿。
部屋まで案内してくれた宿の方が
部屋の入り口で靴をそろえてくださって
恥ずかしい思いをしたのはつい先日。
みっともなかった。
やはり捨てるか、でもどうしよう・・・・
まだ履けるしなぁ。

2025/06/01

おいしい黒蜜に出会う

一人行動が多い。一人ご飯(外食)は慣れているが
一人喫茶というのは苦手な方だ。
本を片手にゆっくりコーヒーを味わう・・・
ということがなかなかできないのである。
なんだか落ち着かない。
それにコーヒーがすごく好きということもなく
では紅茶をといってもティーバッグで出されるのはごめんだ。
日本茶も紅茶も茶葉でなくてはいけない。
時間つぶしにどうしても…という以外
カフェなどに入ることはない方だと思う。
疲れてしまったら帰宅を選ぶか
喉が渇くともっぱらペットボトルのお茶でしのぐ。

先日初めて甘味処へ入った。
はい、たぶん初めてだと思います、甘味処。
たとえばファミレスであんみつを食べるとかでなく
甘味処へ入ってあんみつである。
入ったのは上野湯島の「みつばち
とにかく初めてなのである。
感激した。
何にって、黒蜜が湯桶で出てきたのである。
(えっ、好きなだけかけていいの?)である。
まずきょろきょろと人の目線を確認し
(お行儀がわるいから一応人目を気にする)
おさじによそって蜜だけ頂く。
うっ、おいしいっ。こんなにおいしい蜜は初めてだ。
感激した。
もちろん買って帰る。
寒天棒と赤えんどう豆は常備品なので
ときどきみつ豆は家で食べるのだが
黒蜜はスーパーなどで購入してきた。
それがイマイチなので、黒砂糖で作ったこともあるが
アクがどうしても残ってしまうのでむずかしい。
いたしかたなく?蜂蜜などで頂くこともあったりする。
(そんなに悪くない、蜂蜜)
他の甘味処へ行っても蜜って無制限?
甘味処めぐりを始めそうな私です。

2025/05/25

私としてはぜいたくな5月でした

今月5月は、というか今年の前半(3~5月)は
私としてはぜいたくと感じているのだが
あちこちの博物館、美術館など行きまくりました。
3月の大覚寺展からはじまり
4月は古代DNA展
そして今月はえらく贅沢をさせてもらったが
相国寺展へも行きましたし
関西へ一泊して神戸の池永孟の南蛮美術
大阪の上村松園、奈良と京都の国宝
先週は松代の真田宝物館(これは温泉ついでに寄った)
今はお腹がいっぱい、という感じです。

勉強をしていないので、ただただ観るだけです。
そしてえらく気に入れば重たい目録を買って帰る。
この程度の鑑賞なのだけれど
観たい!!と思うとそればかり考えてしまう。

大覚寺も相国寺でも印象的だったのは
実際に寺院の内部に居るような映像や空間の再現だ。
実物の襖絵が目の前に展示されているが
その脇でCG画像が数分上映されていて
この襖の先の部屋はこうなり、
反対側の襖のお隣の部屋は・・・・
とまぁ見ていてなかなか面白かった。

もうじき終わってしまうが科学博物館の「古代DNA」
これ、おもしろかったでぇ~
ゲノム解析が進んでこんなことまでわかっているんだぁ
という驚きの連続であった。
展示の最後の方では、
お武家さんと庶民の頭蓋骨には違いがあった、
などという面白い展示もあって
「ふぅ~ん、やはりお武家顔というのはあるのか」

余談ですが、展示物を見ながらよくわからなかったので
その場で兄に「ゲノムって何? DNAとの違いは?」
と質問したらAIで返事が戻ってきた。
それが、「安藤先生と三七子さんの会話」という方法を
安藤先生はAIにやらせていたのです。
会話形式だから三七子さんも発言するのだが・・・。
ホンモノの三七子さんより理解力がよく・・・
切り返しもうまく・・・
・・・・・
なんなんだ・・・

2025/05/12

サクサクのアジフライ

GW、皆さまはどのように過ごされましたか?
比較的お天気は良かったですよね。
(もう1週間も経つと色々忘れる)
GWを含め、4月あたりからは庭仕事を
家にいれば毎日数十分でも必ずやる。
これから夏過ぎまでず~っと続くけれど
春になっていろいろ芽吹くので
ことさら「GW=庭仕事が増える頃」という認識。
ず~っと畑仕事をしていた夫は
すでに夏の日焼け顔になっている。

前回書いた冬の葉野菜の後始末。
新しく伸びてきた葉野菜をチョキチョキと収穫。
友だちが毎年ドサッと蕗を下さるので煮る。
私は土いじりをしているうちには入らない。
ちょっとの収穫と草むしりが専門で
収穫を調理するのが仕事である。
食べているものは毎日同じということだけれど
日々感謝して食べることが多くなったと思う。

そうそう、ここ数週間はまた干物づくりにはまる。
骨密度をあげなくちゃいけないので
骨までたべられるからイワシの丸干しをメインに作る。

近くに新しくアジフライを食べさせる店が出来た。
興味津々でオープンしてすぐに行ってみた。
店の人が私の隣にいた高齢女性に
「ねっ、フワフワでしょ」
と言っていた。食材のアジも上らしい。
つまり並ランクと2種類メニューにあったから。
私はその一日限定数のある上のアジフライを注文。
たしかにフワフワ、サクサクが良い感じだ。
味のほうはよくわからなかったのだが。
(並のも一緒に食べて見なければわからないと思う)

サクサクが売りになるのか、と思った。
つまり一般的に外食で出されるアジフライは
フワフワ、サクサクしていないのだろうか。
アジフライは年にほんの数回だが私も作る。
この程度のフワサクは当たり前と思って食べていたが
店の人がアジの味(!)のうんちくを言わず
「ねっ、サクサクでしょ」と言うのを聞いて
おろしたての魚のフライはそれだけで売りにできるのか
と妙なことにおどろかされた次第です。
イワシの丸干しも自分で作ると、
まぁ出来にむらはありますがちょいフワで
「今回はイイ感じだなぁ~」
しばらくはこんな暮らしでしょうかねぇ。

2025/05/03

寅さんを観る

春になって葉物野菜も雑草も一斉に延びました。
毎日毎日時間があるとちょっとずつ庭仕事が増える
そんな4月があっという間に終わってしまった。
ちょっとずつと思っていても心身を遣っています。

冬を越して最後にググっと花を咲かせようとした葉物野菜。
私はそれを一気に抜いて捨てることができず
食べられる葉っぱを細かくちぎって収穫してから捨てるのだが
この作業がせこいながらも実は好きでして
毎年、ルッコラや春菊、秋は大葉とかね。
先週もようやく最後の春菊をしゃがんで処理した。
良く地面を見ると大葉があちこちからたくさん出ている。
これも安全な場所(踏まれない場所)に植えかえる。

というわけで、ブログネタになるような生活ではなく
こんな事で4月は過ぎ、おそらくこれからも
家事・読書・ギターの日常が続くのです…。

そうそう、最近は「寅さん」の復習をしている。
長年の人生の先輩ボーイフレンドから2月末に
どさっと小包が届いた。
私の読書ボーイフレンドであり、
私に邦画の面白さを教えてくださった方である。
小包の中身は本であり、その中の1冊に
『山田洋次が見てきた日本』(クロード・ルブラン著)
という聖書のような分厚い本があった。
780頁もある本である。
ボーイフレンドはこの本を読んだときに
絶対に私に読ませたいと思ったとおっしゃる。
それで送ってくださったのだ。
他にも私が好みそうな本が3冊ありました。

この本、フランス人が書いているのだが
山田洋次の生い立ちからはじまり、
山田作品をその公開当時の日本がどうであったかの
エビデンスというか、かなりきちんと細かく調べあげ
また山田が多くのメディアで語ったことも交えて
1作1作を解説している。
このフランス人の情熱というかなんというか
とにかく日本人以上に山田を愛しておりますなぁ。
それで読み進めるうちにどうしても寅さんが観たくなった。
20年ほど前にやはりそのボーイフレンドが
全作貸してくださってひととおり観ているのだが
もちろん忘れております。

本が届いた当初は
『一日10頁は必ず読む!』としていたのだが
読み進めるうちにどうしても映画が観たくなり
ボーイフレンドに連絡してお持ちの山田作品一式
更にすごい小包となって送ってもらったというわけです。
一日10頁はあえなく1ヶ月で挫折…。
寅さん20作目くらいの部分だったかと思う。
3作目、4作目は山田が監督ではなかったとか
知らなかったなぁ~。
私の好きな映画の1970年の『家族』での
御前様笠智衆の演技は抜群だったなぁとか。
再発見はいろいろある。
ということでおうち時間は寅さんが続きます。

2025/04/12

治める人はこうあってほしい

 この春、朝廷から徳川家を追討するご命令がありましたが、
私ども今まで臣下の一人として仕えました者としては、
恩を忘れて主君に鉾を向けることなど決してできるものではありません。
現在の諸国の大名の態度を見ておりますと、
日本国が従来から持っていた人の道を守る心は捨て去られたように思います。
私は領内の十余万人が、職業に精励して経済が豊かになり、
安心して生活できるようにすることが天職だと思っています。
それぞれの藩がそのように考えることが、
ひいては国全体の平和と繁栄につながることでしょう。
そんなことも分からない人たちが戦争をしかけてくるのであれば、
義理を守り、力を尽くして戦い、
滅亡しても仕方ないことだと覚悟しています。
 しかしながら強い方につこうと日和見の態度を取って、
戦いに巻き込まれて領民を苦しめ、
藩も滅亡し、汚名だけ残すこととなれば
もっと申し訳のないことだと思っております。
私どものような小藩でも一致して倹約につとめ、
産業を興せば、三年のうちには海軍を備えることもできましょう。
それなのにこのような情勢となって、
いたずらに戦争によって領民を苦しめ、農作業を妨げ、
国を疲弊させてしまうのは本当に悲しむべきことです。
このことはすでに、朝廷にも徳川氏にもご意見申し上げたのですが、
どちらからも回答はありませんでした。
そこで私はやむを得ず、
ただただ領民の平和を維持することに専心しているのであります。
このようなことを私どもは
決して一藩のためだけに申し上げているのではありません。
いまこそ日本国中で協力し、
世界の恥さらしにならないような強国をつくり上げることが大切です。
情勢は切迫していますから、この真の心を
ぜひご採用になっていただければありがたく思います。

 
慶応四年五月
牧野駿河守