2025/03/25

悲しいことがありましたが

数年前まで不定期に開催していた
我が教室の軽~い発表会。
会場がなかなか抽選で確保できなかったので、
ここ数年は会場を小さな部屋に変更して
3か月に1回の練習会という形にして早2年。

あみだくじで演奏順を決めて披露するのだが
私も演奏するようにしている。
最近は『今日欠席の生徒さんの練習している曲』
を弾かせてもらうこともある。
先日はサグレラスの『マリアルイサ』
急遽、この曲を選曲した。

13日の木曜日その生徒さんから電話をもらった。
80歳を少し過ぎた男性で10年ちょっとのお付き合いだ。
「先生、コロナにかかって入院している。
 コロナはよくなったが、多臓器へ炎症がみられるから
 とにかく2週間は休むからね」
とてもとても心配した1週間を過ごした。
高齢であること以上に喘息をお持ちだったので…。
そして…他界されてしまった。
訃報を伺ったのは22日土曜日。
17日に亡くなり21日に葬儀を済ませたと奥様から電話。

2年ほど前からだったと思うが
「もう新しい曲はチャレンジしない。
 リストを作ったから、これを順番に何回もやることにする」
と12曲を少なくとも3回か4回目かとグルグルとやってきた。
3月初めの最後のレッスンのとき練習していたのが
『マリアルイサ』だった。

月曜日に娘さんと電話で話をした。
娘さんはご主人の仕事の関係でずっと海外生活だったが
「娘と孫が今月に戻ってくるのだ」と
最後のレッスンのときに嬉しそうにおっしゃっていたので
伺ってみたら「帰国したのが前の週の週末で」
入院前の2日間は具合が悪そうだったが一緒に過ごせたという。
「お父様はとてもお話、というか説明のお上手な方でした。
 私がまったくわからないことでも、わかりやすく、
 一度でわかるようにご説明くださる方でした」
私は「お仕事とかどこかでレクチャー経験とかあったのですか?」
と質問をしたことがあるくらい、
どんなことも確実に私にわかるようにお話くださる方だった。
そのように娘さんに話したらすぐに合点なさり
「そうでした。私はなんでも父に相談をしてました。
 父はその時アドバイスというのではなく、自分の経験や
 体験をふまえた話をしてくれる人でした」
他に少しだがいろいろ話を伺い
「すてきな父娘の関係でいらしたのですね」
とうらやましいくらいの良いお話をしてくださり
私はウルウルしながら素直にそう申しあげた。

ちょっと、いや、かなりショックな週末だったが
娘さんとほんのちょっと思い出話ができてほっこりもした。
ハンチングとシルクのマフラーのお似合いの方でした。
初夏に我が家のメスレを楽しみになさって
ありがとうとチョコレートを大人買いしてくださったり。
私の方こそ、たくさんのことをありがとうございました。

2025/03/13

2月の強攻旅行 7 余談

寒かった、雪が降ったと合間合間に書いてましたが、
結局帰路、大変具合が悪くなった。
金刀比羅のみやげやの叔母さんから
御礼にといって渡されたお箸も功を奏せず
「縁起いいから。病気しないから」と言われたのに
嘔吐と下痢に襲われ、必死に帰ってきた。
単純に冷えであったと思う。
熱もでていたのだろうか、よく覚えていない。
風呂に入り、カイロを貼って寝て、
翌日にはケロリとしてました。
留守中ご迷惑をおかけした皆さま
お詫び申し上げます。

2025/03/11

2月の強攻旅行 6 圓教寺

圓教寺への予定外のトレッキング(東坂道)となったが、
途中眺めがよかったり、羅漢さんなどもおられ
これは楽しかったのだが
屋久島の時と同様、登りながら
『登るってことはあとで下りるってことよね』
下山のことを考えてしまう。
こちら羅漢さん


45分くらいかかってようやくロープウェイの山上駅に着く。
圓教寺境内は更に奥になるが
駅のあたりだったか志納料を500円納める箱がある。
とにかくどなたにもお目にかからない。

境内は広域でしかもアップダウンがかなりある。

この伽藍、摩尼殿が目に入った時には衝撃を受けました。
           
               摩尼殿の舞台作り すごい

更に奥へ進むとおおきな3つのお堂があり、
お堂の前はまるで学校の運動場のように広く圧倒される。
ここで『ラストサムライ』とか大河ドラマなどが撮影されたらしい。
ここでようやく4~5人の方々が散策しているのに出会う。
ここでもハラハラと白いものが落ちてくるよ、寒いよ。

下山は西坂道を降りることにした。
観光案内所でいただいた地図に
「ところどころ舗装されている」
と書かれてあるので登山道ではないだろうから。
しかしその地図には
「傾斜がすごいので膝の弱い人は使わない方がよい」
とある。ほんと、すごい傾斜道だった。
明月院から実家への坂の傾斜よりずっと斜度は大きく
距離は5倍はあったか、かなり大変なくだりだった。
(丸亀城に続き再度登場。
 私の坂道の基準となる北鎌倉明月院奥の坂道)

ようやく平地に到着。
ほっとさせてくれた日吉神社
バスを待って最後の目的地姫路城へ。

白鷺城も圧倒されました。
姫路市民はこのような素晴らしいものを
充分誇りに思っているだろうなぁ。
すっごいなぁ。

まるまる2時間はかかりました。
すっかり冷え切りました。
混むだろうけれど、桜の時期に再訪したい。

2025/03/09

骨折してたらしい

先日乳がん手術後1年経過したというので検査があった。
乳がんに関しては何ら異常はなかったのだが
CT画像で、なんと胸椎12番が骨折していたという。
「胸の状態などまったく異常ないですよ。
 でも背骨、骨折してます。治りかけてますね。
 転んだりしましたか? 尻もちとか」
転んだり尻もちの記憶はまったくない。
しかし腰痛が始まった時期はだいたい覚えており、
手帳にも記録していた。
9月22日に「腰痛」と書いてあった。
あの頃、痰がからみ咳が続き、その原因がわからず。
放射線治療の副作用による肺臓炎を疑っていたころ。
とほほ…咳がひどくて腰や背中に負担がいって
それによる痛みだと思っていた。
その後11月の健康診断で
身長が一年前から5mmくらい低くなり…

とにかく骨折など脳裏をかすめもしなかった。
運動もやるときにはガンスカやっていた。
これまで書いてきたように屋久島とか大山とか
いろいろ歩いちゃったしなぁ~
腹筋とか、やるときはそれなりにまじめにしましたし。

骨密度の低下ということである。
乳がん治療薬のホルモン剤の副作用が考えられる。
だが私は体質的にカルシウムとかの吸収が悪いと思っている。
いわゆるミネラル系の吸収が悪いのでは。

小さいころから牛乳は良く飲んでいた。
もう確認のしようはないけれど、
私は牛乳で育ってきたと聞かされている。
母は私を産むときに腸閉塞となり、そのまま入院。
私は母乳ではなかったと聞いている。
祖母とかに粉ミルクを用意してもらえていたのだろうか。
しかし母から聞かさせていたのは
「あなたは牛乳で育ったの」
といつも水がわり牛乳ばかりを飲む私にそういった。
ほうれん草もよく食べさせられた。
しかし貧血検査とかはよくひっかかっていたので
若いころから自分は体質的に吸収力がないと思っている。

まっ、とにかくうそういうわけで
骨粗鬆症の薬が処方されました。
何だか気が付けば、
私はかなりの薬づけ人間となっていた。
この薬もきっと効かないだろうなぁ。
などと思いつつ…。
じゃことかもうちょっと食べるかね。
う~ん、ショックである。

2025/03/05

2月の強攻旅行 5 その方は神様だったのです 

姫路は2か所を目的としていた。
もちろん白鷺城、そしてもう一つが書写山圓教寺 
姫路駅から北西にバスで2~30分行ったところ。
西国三十三所観音霊場の二十七番札所で
山の上にたくさんのお堂があるのだが
ここは映画などのロケ地としても知られている。

姫路駅についてすぐ駅構内にある観光案内所へ。
圓教寺へ行きたい旨を告げると地図を渡され
ロープウェイが点検中で1時間くらいの登山となります」
と言われる。
(ふぇ~、なんとここでトレッキングせねばならないのか)
と0.5秒くらい気持ちが揺らぐ。
しかしここはどうしても外せない。
手書きの地図をいただき、乗るバスの番号を教わり、
コインロッカーに荷物を入れていざ出発。
地図に書かれてあったバス停に一人降り立つ。
バス停のすぐ前に延びている道に入るように地図にはある。
確かに道はある、きちんとした道だが細い。
これでよいのかなぁ~とちょっと不安。
そこへふっと、いつ現れたかおじいちゃんが私の横にいる。
💡💡今ここで尋ねねばダメかも💡
「すみません、圓教寺への登山口へはこの道でよいのでしょうか?」
とすかさずお尋ねをした。
はじめその地図を理解するのにちょっと時間がかかったが
「一緒に行きましょう」とおっしゃってくださる。
「申し訳ないです、ご一緒していただいて。
 ご用事がおありでしたのでしょう?
 あっ、もしかしてゲートボールですか?」
「えぇ、そうですけれどかまいませんよ」
「失礼ですが、おいくつになられるのですか?」
「81歳です」
しばらく歩く。
「あぁ、この地図に書かれてあるお堂はこれですか?」
と歩いて数分のランドマークとなる女人堂。
「そうですね、ここを曲がって、階段をのぼって。
 あっ、お参りしていかれますか?」
とおっしゃるので、お断りする理由などまったくない。
もちろんお参りをする。

お堂の横は墓地もあるが登山口という表示があった。
もうここで十分わかったのでおじいちゃんにお礼を言う。
「ここに案内板がありました。ありがとうございます。
 ここからはもう大丈夫ですから。」
「途中まで登ります。うちのお墓もここにあります」
「あっ、そうですか?」
と一緒に階段を登ったのだが、途中から岩の足場となる。
つまり本当に登山となるわけですな。
私はちょっと心配で振り返る。
と、その瞬間ふらっとよろけているではないか、おじいちゃん。
これ以上は危険である。
「本当にもうこちらで大丈夫ですので。
 足元も悪くなってきますのでここまでで。本当に」
「いえ、もう少し。貴女が登っていくのを見届けます」
と、なんとお優しいおじいちゃん。
しかし見届けたいのは私の方である。
おじいちゃんが手すりのある階段まで降りつくのを
見届けたい心境だった。
「では、ここにいらしてください、登りますので」
と何度も振り返りつつ私は登り始めた。
お互い見えなくなったころから
私は救急車の音がしないかだけを気にしてひとり登山。

この話を生徒さんにしていたら
「先生、その方、神様だったのですよ」
と言われた。
納得した。あのおじいちゃん、神様。

2025/03/04

2月の強攻旅行 4 岡山城

その後姫路へと向かう。
途中下車、岡山ではいくつかの神社さんをめぐる。
2年前に奈良でレンタカーを借りて神社巡りをしたが、
小さなトラブルがあり訪れられなかった神社があった。
これはその神様にお呼びいただけなかったのである。
訪れるつもりだったのに、道路工事で迂回せねばならず
予定の3倍の時間がかかるとナビに出てしまった。
神様にお呼びいただけない、そのような考え方をあの時知った。
そして今回も近くにいながらなぜか行かれなく
やはり呼ばれなかったんだなぁとすんなりと受け入れる。
またご縁があったらお呼び下さいませ。

さて、岡山城へ行く。
おっ、我ながらよく撮れている。
中はものすごく近代的な展示室となっていて
大変お勉強になりました。
宇喜多・小早川・池田の3代城主のお勉強。
次に訪れる姫路城もですが、城壁がかっこいいです。
昨年末に今村翔吾の『塞王の楯』という本を読んで
それは戦国時代の城壁の石積みのお話だったが
非常に面白い小説で
(こんなざっくりなお話ではないですけれど)
あれを読まなかったら今回まじめに城壁はみなかったろうなぁ。
しかしこの日もあちこちで雪が舞っていた。

2025/02/28

2月の強攻旅行 3 おばあちゃんとのすったもんだ

急いで下山、荷物を預けたみやげもの屋さんに到着。
私の荷物は無事椅子の上に、
「たった今そこに置きました」状態で放置されていた。
「おばさん、どうもありがとうございましたっ!」
って、誰もいないよ、出てこないよ。
数分待っても誰も現れない。
もう、お金も払わず、もちろん土産物も買わず
ずらかってしまおうかとさえ思った。
と、そこへおばあちゃん、ようやく現れる。

ではここからは会話形式で。
「ありがとうございました。
 で、おみやげ買って帰ります。
 これ2つとこれとね、買って帰るね」
「いくらになるかね? 電卓は…」
「えっ? 電卓?・・・あっ、ここにおいてありますよ、電卓」
立派なレジもあり、その横に電卓が置いてある。
「お客さん、やってください、その方が正確だわ」
「へっ? あっ、そう?(と私、電卓をたたく)
 全部で1770円。もう一度やりますよ、
 460円が2つとこれ850円、合計1770円」
財布から5000円札を出して渡すと
「おつりはいくらかね?」
「おつり? 3230円。見て、電卓。3230円のおつり」
「釣銭、釣銭・・・」
とご自身のポケットやら探り出す。
「おばさん、ここにレジあるけれど、
 この中にお金は入っていないの?」
まるで無視

そんなやりとりをしている間に一人の男性客が入ってきていた。
もちろんそんなことは私には関係ないから
釣銭がわからなくなっているおばあさん相手に必死である。
「わかった、おばさん、ちょっと待って。
 こまかいお金が別にある、持っているからそれを出しますから」
すぐ出せる財布の中には5000円札しか入れていなかったが
別封筒に確か1000円札を入れてカバンに入っている。
更に別小銭入れもあり、細かいお金をいくらか持っていた。
(神社さんをめぐるのでお賽銭が必要と思い準備していた)

その間、もう一人の男性客はまだ土産物を見ている。
私は彼の近くに寄って
「なんだか、しっちゃかめっちゃかだわ」
と彼に聞こえるようにつぶやいたのだが
彼は外国人であることがその時わかった。
通じない、私の疲れたボヤキも空振りである。
(あとで伺ったら台湾の方だった)
話しかけてしまったために、これを買いたいと逆に言われてしまう。
「ちょっと待った! wait! wait! Just a moment!」
と両方に向かって手のひらで制止する私。
「おばちゃん、これ私の1770円、まず収めてね。
 それでこのお兄さん、これ買いたいって、いくら?」

何が買いたいかというと「金刀比羅」と書かれてある提灯。
先のブログにちらりと書きましたが、まったくあかぬけない店。
工芸品みたいのが多くて、こんなの売れないだろうという
そんなものばかりの店に外国人のお目にかなったのが
高さ18センチくらいの提灯だわ、こんなの。
ここに縦に「金刀比羅」だったか「金刀比羅宮」と書かれてある。

釣竿のような棒に提灯の持ち手を通してディスプレイされている。
今どきこんなものを買うのは、そうか、外国人か。
これが10個くらい、色とりどり並んでいて、
左から5番目くらいのがほしいというのである。
「おばちゃん、この提灯、棒からどうやってはずれるの?」
「一個ずつ、ずらしてはずすんだわ」
「えっ、ずらしていくの?」
(ずらしてはずすんかい、私がやるんか? どう考えても私だな)
って、私がやりました。
もちろん、はずした提灯はまた元へ戻す。

台湾のお兄さん、1000円払って嬉しそうに出て行った。
で、私はというとおばあさんが「ありがとうね」
とこちらも工芸品のお箸を御礼と言って渡してくださった。
「これ、縁起いいものだから。病気しないから」
そして「この提灯も持って行きなされ」
と、私がどうやら戻し忘れた提灯を畳んで渡そうとしてくれたが
「いや、おばちゃん、提灯はいらない。
 ありがとう、提灯はいいわ」
それでもくださりそうな勢いなので、
そばにあった温泉タオルを手にして
「だったらこれちょうだい、これ、頂いていく」

私は結局この店で20分近く費やしたのではないだろうか。
もっとかもしれない。
ようやく参道を下まで降りたところで先ほどの台湾の兄さん。
抹茶ソフト片手に提灯持って必死に自撮りしようとしていた。
「撮ってあげるよ」と突然現れた私に驚いたが
現れたから驚いたのでなく、
私が土産屋の人間でなかったのに驚いたらしく
「店の人じゃないの?」
「私もあなたと同じツーリスト!!」

ようやく宿にたどり着いた私が一番最初にしたこと
買った土産物の食べ物の消費期限の確認だった。
申し訳なかったがすぐに見てしまったよ。
あのようすだと15:30すぎ。
私が最初のお客さんみたいだったものね。