2025/03/09

骨折してたらしい

先日乳がん手術後1年経過したというので検査があった。
乳がんに関しては何ら異常はなかったのだが
CT画像で、なんと胸椎12番が骨折していたという。
「胸の状態などまったく異常ないですよ。
 でも背骨、骨折してます。治りかけてますね。
 転んだりしましたか? 尻もちとか」
転んだり尻もちの記憶はまったくない。
しかし腰痛が始まった時期はだいたい覚えており、
手帳にも記録していた。
9月22日に「腰痛」と書いてあった。
あの頃、痰がからみ咳が続き、その原因がわからず。
放射線治療の副作用による肺臓炎を疑っていたころ。
とほほ…咳がひどくて腰や背中に負担がいって
それによる痛みだと思っていた。
その後11月の健康診断で
身長が一年前から5mmくらい低くなり…

とにかく骨折など脳裏をかすめもしなかった。
運動もやるときにはガンスカやっていた。
これまで書いてきたように屋久島とか大山とか
いろいろ歩いちゃったしなぁ~
腹筋とか、やるときはそれなりにまじめにしましたし。

骨密度の低下ということである。
乳がん治療薬のホルモン剤の副作用が考えられる。
だが私は体質的にカルシウムとかの吸収が悪いと思っている。
いわゆるミネラル系の吸収が悪いのでは。

小さいころから牛乳は良く飲んでいた。
もう確認のしようはないけれど、
私は牛乳で育ってきたと聞かされている。
母は私を産むときに腸閉塞となり、そのまま入院。
私は母乳ではなかったと聞いている。
祖母とかに粉ミルクを用意してもらえていたのだろうか。
しかし母から聞かさせていたのは
「あなたは牛乳で育ったの」
といつも水がわり牛乳ばかりを飲む私にそういった。
ほうれん草もよく食べさせられた。
しかし貧血検査とかはよくひっかかっていたので
若いころから自分は体質的に吸収力がないと思っている。

まっ、とにかくうそういうわけで
骨粗鬆症の薬が処方されました。
何だか気が付けば、
私はかなりの薬づけ人間となっていた。
この薬もきっと効かないだろうなぁ。
などと思いつつ…。
じゃことかもうちょっと食べるかね。
う~ん、ショックである。

2025/03/05

2月の強攻旅行 5 その方は神様だったのです 

姫路は2か所を目的としていた。
もちろん白鷺城、そしてもう一つが書写山圓教寺 
姫路駅から北西にバスで2~30分行ったところ。
西国三十三所観音霊場の二十七番札所で
山の上にたくさんのお堂があるのだが
ここは映画などのロケ地としても知られている。

姫路駅についてすぐ駅構内にある観光案内所へ。
圓教寺へ行きたい旨を告げると地図を渡され
ロープウェイが点検中で1時間くらいの登山となります」
と言われる。
(ふぇ~、なんとここでトレッキングせねばならないのか)
と0.5秒くらい気持ちが揺らぐ。
しかしここはどうしても外せない。
手書きの地図をいただき、乗るバスの番号を教わり、
コインロッカーに荷物を入れていざ出発。
地図に書かれてあったバス停に一人降り立つ。
バス停のすぐ前に延びている道に入るように地図にはある。
確かに道はある、きちんとした道だが細い。
これでよいのかなぁ~とちょっと不安。
そこへふっと、いつ現れたかおじいちゃんが私の横にいる。
💡💡今ここで尋ねねばダメかも💡
「すみません、圓教寺への登山口へはこの道でよいのでしょうか?」
とすかさずお尋ねをした。
はじめその地図を理解するのにちょっと時間がかかったが
「一緒に行きましょう」とおっしゃってくださる。
「申し訳ないです、ご一緒していただいて。
 ご用事がおありでしたのでしょう?
 あっ、もしかしてゲートボールですか?」
「えぇ、そうですけれどかまいませんよ」
「失礼ですが、おいくつになられるのですか?」
「81歳です」
しばらく歩く。
「あぁ、この地図に書かれてあるお堂はこれですか?」
と歩いて数分のランドマークとなる女人堂。
「そうですね、ここを曲がって、階段をのぼって。
 あっ、お参りしていかれますか?」
とおっしゃるので、お断りする理由などまったくない。
もちろんお参りをする。

お堂の横は墓地もあるが登山口という表示があった。
もうここで十分わかったのでおじいちゃんにお礼を言う。
「ここに案内板がありました。ありがとうございます。
 ここからはもう大丈夫ですから。」
「途中まで登ります。うちのお墓もここにあります」
「あっ、そうですか?」
と一緒に階段を登ったのだが、途中から岩の足場となる。
つまり本当に登山となるわけですな。
私はちょっと心配で振り返る。
と、その瞬間ふらっとよろけているではないか、おじいちゃん。
これ以上は危険である。
「本当にもうこちらで大丈夫ですので。
 足元も悪くなってきますのでここまでで。本当に」
「いえ、もう少し。貴女が登っていくのを見届けます」
と、なんとお優しいおじいちゃん。
しかし見届けたいのは私の方である。
おじいちゃんが手すりのある階段まで降りつくのを
見届けたい心境だった。
「では、ここにいらしてください、登りますので」
と何度も振り返りつつ私は登り始めた。
お互い見えなくなったころから
私は救急車の音がしないかだけを気にしてひとり登山。

この話を生徒さんにしていたら
「先生、その方、神様だったのですよ」
と言われた。
納得した。あのおじいちゃん、神様。

2025/03/04

2月の強攻旅行 4 岡山城

その後姫路へと向かう。
途中下車、岡山ではいくつかの神社さんをめぐる。
2年前に奈良でレンタカーを借りて神社巡りをしたが、
小さなトラブルがあり訪れられなかった神社があった。
これはその神様にお呼びいただけなかったのである。
訪れるつもりだったのに、道路工事で迂回せねばならず
予定の3倍の時間がかかるとナビに出てしまった。
神様にお呼びいただけない、そのような考え方をあの時知った。
そして今回も近くにいながらなぜか行かれなく
やはり呼ばれなかったんだなぁとすんなりと受け入れる。
またご縁があったらお呼び下さいませ。

さて、岡山城へ行く。
おっ、我ながらよく撮れている。
中はものすごく近代的な展示室となっていて
大変お勉強になりました。
宇喜多・小早川・池田の3代城主のお勉強。
次に訪れる姫路城もですが、城壁がかっこいいです。
昨年末に今村翔吾の『塞王の楯』という本を読んで
それは戦国時代の城壁の石積みのお話だったが
非常に面白い小説で
(こんなざっくりなお話ではないですけれど)
あれを読まなかったら今回まじめに城壁はみなかったろうなぁ。
しかしこの日もあちこちで雪が舞っていた。