最近知った言葉『マルハラ』
なに、それっ!という感じである。
LINEでたとえば「承知しました。」
の「。」が圧力的でハラスメントなのだという。
まったく何なんだ、と思う。
ハラスメントとは嫌がれせである。いじめである。
と一応定義があるが、
昨今、「〇〇ハラ」は言ったほう、言ったモノ勝ちみたい
まったくおかしな世の中になった気がするのは私だけ?
どちらがハラスメントなのだか。
日本人は傷つきやすく弱くなったのね。
被害者意識も大きい気がする。
弱者であることを強く主張する弱者、うんっ? 強者かも。
なんだか矛盾する。
時としてそれが無礼だなぁとも感じないでもない。
と思っていたら、2月号のサライの島田雅彦氏のエッセイ
タイトルは『無礼』で全文紹介したいくらいおもしろかった。
無礼がタイトルだが、礼儀について書いていた。
「~礼儀は人間関係を円滑にし、世界の居心地を改善する技術である。
だがその見返りが一切期待できなければ他人を慮る余裕も失われ
無礼者の人口は一気に増える」
「いわゆる『カネだけ、今だけ、自分だけ』の
効率的、刹那的、利己的な態度が弱肉強食を生き残る際の鉄則だと
勘違いしている輩には無礼者が多く、自分の過ちも
不正も反省せず、責任も取らない」
まったくその通りだと思いながら読んでいた。
常々、この『効率的、刹那的、利己的な態度』という
今の風潮に私は多少抵抗感がありまして。
ことに効率的=正論なのだろうか、と。
島田氏はさらに小笠原流礼法、お辞儀の仕方と襖の開け方を紹介している。
礼法は元々武士の流儀。
相手に敵意のないことを示すことに重きがあるのだそう。
「攻撃的でない態度を見せることが礼儀であるならば
無礼というのは、相手には攻撃的と映る姿勢を取ることなのだと悟った」
と島田氏はおっしゃる。溜飲。
人と関わるのは本当はとてもむずかしいことだ。
あんなこと言ってしまった、やってしまったなど
日常茶飯事で反省の多い日々だが
無礼者にならないようにはしたいです、ハイ。
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