爪が欠けるとモチベーションが落ちるのだが
そうでなくても実は私としてはここ数年の間でも
ちょっと長いスランプ状態の中にいる。
2月末の研究発表会の直前に2本爪にひびが入り
発表会が終わるとひと段落という気持ちもあり
爪がないのも手伝って自身が弾く意欲が減退していった。
つまり2か月半、スランプというかなんというか・・。
先週お目にかかったプリンセス・Pさんから
「元気ないね」と言われ
「そう? しゃべらないだけじゃない? ちょっと静かなだけ」
と返事をしたけれど、そうかもしれないと思った。
P先生は「私もそういう時があって、それで作曲始めたの」
う~ん、私にはその才能はなく・・・。
P先生にお目にかかったのは
中島先生with長谷川先生のコンサートであった。
19世紀ギターを何本も聴かせていただき
気持ちを揺さぶられるた。
(主婦でなんちゃってギタリストの私は
19世紀ギターの人気があることをわかっていても
今までそんなに心動いてこなかったのである)
現在そのスランプから這い上がれそうになってきた。
あの日の長谷川先生のトークがきっかけだ。
「1曲を何日も何時間も練習して
発表会や演奏会で弾くということとは違って
おそらく当時(19世紀ギターが演奏されていた時期)
小さなサロンや家で好きな曲を自分自身が楽しむ
そういった要素が大きかったのではないだろうか」
というようなことをおっしゃたと記憶しているが
なんだかやさしく背中を押してもらった気がしている。
今、私はちっとも楽しんでいない
新しい曲にチャレンジしなくてはいけない
弾いてきていない曲を弾かなければいけない
(例えば「ギター弾くならこれも弾けるでしょ」
と言われるようなオーソドックスな曲なのに
実はあまり弾いていない曲のこと、私にはグラナドス)
と毎日考え、楽譜を広げてちょこっと弾いては閉じ
また広げては閉じしていたが一向に前進できなかった。
生徒に「今度、この曲弾くからね」と公言すれば
弾かねば!と思って練習するだろうという方法もやった。
しかし拍車がかからなかったのが現実だった。
私はちっとも楽しんで弾いていない
生徒に「楽しく弾きなさいね」と何度も言ってきているのに
自分が楽しんでいないことに気づいていなかった。
1年半ほど前、兄と何年かぶりにいろいろな話をする機会があった。
彼は教育心理学・行動遺伝学というなんだかわらない分野が専門だ。
執筆するため、兄は当時いろいろな人を取材していた。
そのなかのおひとり、お金持ちでご自宅にサロンがあり
娘さんはピアノで海外留学させて云々・・・
その母子の優秀であるがための苦悩を聞かされたのだけど
兄は最後に私にこう言った。
「そう思うと、あんたみたいなのはそこそこ幸せなのよ」
兄と会話をしたあの頃、
2021年も終わろうとしていた頃、
還暦を迎えた年でもあったあの頃、
コロナ禍で自分を見つめることも多かった頃、
兄に言われるまでもなく
この程度の私に、私自身納得していたので
兄のこの発言を素直に受け入れることができた。
今の私はそれすらもすっかり忘れていた。
で、ギターにおいてはスランプの春でしたが
やらねばならないことは日々いろいろあり
それも全部ひっくるめて、
穏やかでそこそこ幸せと思っております。
何をしていたわけではありませんけれど
ブログに書いたけれど箱根の山を歩きながら
『私には山歩きは向いていないっ!』と悟ったり
書かなかったことでは
美術館『重要文化財の秘密』、
MIKIMOTOでやっていた高峰秀子展、
映画『生きる』 これよかったわぁ。黒澤とはまた別!
小津安二郎展。
タケノコもあったし、庭掃除、
加藤先生のコンサート参加
そして大量の絵本読書も継続中です。
(1ヶ月で70冊!、まぁ絵本ですからそのくらいは)
絵本、奥深いですなぁ。
おすすめは
『きつねがひろった イソップものがたり』
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