2020/11/08

ひとり温泉いきました 27(ほんとはふたり)その3の4

ようやくお風呂の話にたどり着いた…
facebookでご縁が出来ました清水さんに
翌朝案内していただいた桃山風呂と露天風呂
清水さんにご許可いただき写真撮影。
そしてブログ掲載もご許可いただきました。
桃山風呂は公式HPなどでご覧いただけるとして
脱衣所と浴室との扉(お風呂側から)
脱衣所の欄間
とにかく高い天井。柱も腐蝕するからその修繕も大変だそうです。
釘とかいっさい使っていない。
宿の収益のほとんどがお風呂場につぎ込まれるとか。
そうでしょうねぇ~と納得。
よろづやさんの歴史は古く現在7代目(でしたかと)で
その昔はお名前通り、いろいろなものを扱うお店だったのですって。
本当はいつからというはっきりした記録は残っておらず
それでも寛政年間からの記録はあるというから200年以上。
そしてこちらの有形文化財の桃山風呂は2代前からだそうです。

露天風呂の写真 左に見える紅葉が先端だけ赤くなっています。

で、この露天のこの角度の写真はね、
清水さんが特別にお庭に入れてくださって撮らせてもらったの。
だから珍しいと思います。
公式HPでもこちら側でなく対岸から撮られているし。

余談ですが、第15代目市川羽左衛門がこちらに疎開していて
その際中こちらで亡くなっている。(確か菊の間)
私はこの旅の直前に読んでいた池波正太郎のエッセイ
『青春忘れもの』でそのことを知って
(へぇ来週行くよろづやさんだ)と思った。
芝居好きの池波は子どもの頃(といっても16歳)
三越で市川に会ってサインを求め・・・
と、この先はなかなか良いお話なので実際お読みいただくとして
とにかく私は宿泊してはじめてその羽左衛門さんの
見目麗しきお顔を拝顔いたしました。
あの時代の三大美男子(あとの二人は長谷川和夫と上原謙)
のおひとりだそうで、私の中ではこの方がぴか一でございました。
池波のエッセイからもお人柄がわかります。

写真をもう一枚
なんだ?って写真ですが、
これも清水さんが特別に入れてくださったお部屋から
桃山風呂の屋根の写真です。
清水さん、お風呂だけでなく松籟荘も案内してくださって
(客室は残念ながらまだ利用客もあり見られなかったが)
美しい作りにため息が出ました。
とにかくお若い清水さんが、仕事を愛して一生懸命ですし
ほんのちょっとの交わりでしたが
彼がお客さんにもスタッフの人たちからも愛される
素敵な青年であったことが私たちに強く印象に残り
よろづやさんがいつまでも続く、
質の良いお宿であってほしいと思った旅でした。
清水さん、本当にいろいろありがとうございました。
(なにか記事間違っていたら教えてくださいませ)

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