蟄居生活に慣れてきました。
いや、本当は慣れているわけでなく
自分自身に慣れろと言っているのかも。
たぶんもう少し緩くなるかもしれないけれど
これから先数か月、いえ、たぶん数年
このように生活していかなければならないでしょう。
数日前にA.ファウチ氏が慎重に謙虚に
「我々はこのウィルスについて知らないことがまだまだある。
だから私はこの病気について全く知らないことを自覚している。
大胆な予測は控えている」
と発言しました。
この発言は重く受け止めなくてはならないと思います。
日本でも緊急事態宣言解除がいつかが毎日とりあげられるけれど
それは決してほんの数か月前と同じように
人と密に接触するような社会活動がOKのサインではない。
そのことをきちんと認識していかねばと思いっています。
だから「段階的に」という方法を取ろうとしているわけで
それはきっと「これ!」という有効なワクチンができるまで
決して油断してはならないということで
ワクチンは1年以上先と長くかかるでしょう。
そう思いながら私自身をいろいろな角度から見つめ直す
ということをしていかなくてはいけないかなと感じています。
現在皆が日々決断する「不要不急」もそうですが
あらゆるモノ・コトと私自身の距離感を
見直すことの大切さを感じています。
自分の人生はあとどのくらい残っているのかな。
COVID-19で本来の寿命を全うせず…も考えられる
そのことも考慮していかねば・・・
と思い始めた中、中学高校時代の友人が亡くなった。
急な訃報で打ちひしがれるとはこのことか。
昨晩『ららら♪クラシック』でいろいろな楽器奏者が
オンラインで演奏してくれたが
かなりの人がバッハを選んでいました。
うん、わかる気がする。
時としてバッハは癒しとなり、パワーにもなるのだ。
(ギター界からパク・キュヒさん「ラグリマ」演奏されてました)
演奏活動中心の方たちはまだまだ苦しい月日が続くでしょう。
私もギターを生業としてはいるが
演奏活動ではなく指導活動がメインだが
教室が閉鎖されていてレッスンができず
それなりに打撃を受けている。
私個人の教室の生徒でも
オンラインを希望されない方もいる。
そんななか自分を見つめる一つとして
ギターと自分の距離を素直に見つめてみる。
私はなにを今弾きたいのだろうと思う、考える。
「次、人前で弾く曲は」と選曲することが主流であったが
外へ向けてでなく、私自身の内側にあるもの。
するとやはりバッハが入るのですね。
チェロ組曲第一番のプレリュードが現在
これからあと2曲入れる予定です。
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