2025/04/12

治める人はこうあってほしい

 この春、朝廷から徳川家を追討するご命令がありましたが、
私ども今まで臣下の一人として仕えました者としては、
恩を忘れて主君に鉾を向けることなど決してできるものではありません。
現在の諸国の大名の態度を見ておりますと、
日本国が従来から持っていた人の道を守る心は捨て去られたように思います。
私は領内の十余万人が、職業に精励して経済が豊かになり、
安心して生活できるようにすることが天職だと思っています。
それぞれの藩がそのように考えることが、
ひいては国全体の平和と繁栄につながることでしょう。
そんなことも分からない人たちが戦争をしかけてくるのであれば、
義理を守り、力を尽くして戦い、
滅亡しても仕方ないことだと覚悟しています。
 しかしながら強い方につこうと日和見の態度を取って、
戦いに巻き込まれて領民を苦しめ、
藩も滅亡し、汚名だけ残すこととなれば
もっと申し訳のないことだと思っております。
私どものような小藩でも一致して倹約につとめ、
産業を興せば、三年のうちには海軍を備えることもできましょう。
それなのにこのような情勢となって、
いたずらに戦争によって領民を苦しめ、農作業を妨げ、
国を疲弊させてしまうのは本当に悲しむべきことです。
このことはすでに、朝廷にも徳川氏にもご意見申し上げたのですが、
どちらからも回答はありませんでした。
そこで私はやむを得ず、
ただただ領民の平和を維持することに専心しているのであります。
このようなことを私どもは
決して一藩のためだけに申し上げているのではありません。
いまこそ日本国中で協力し、
世界の恥さらしにならないような強国をつくり上げることが大切です。
情勢は切迫していますから、この真の心を
ぜひご採用になっていただければありがたく思います。

 
慶応四年五月
牧野駿河守

2025/04/11

幕末の長岡藩の河井継之助

私が歴史上の人ですごい人だと思っている人物のひとり
長岡藩の最後の(だと思う)家老、河井継之助だ。
突然、何を書き始めたかと思われるかもしれないですが
どこかに書き留めて残しておきたいのでこちらに。
興味ない方はスルーしてください。

司馬遼太郎の『峠』という小説で初めてこの人物を知った。
大政奉還後、既に多くの藩は新政府軍側となっていたが
長岡藩は旧幕府軍にも新政府軍にもつかず
中立の立場を貫こうとしていた。
そして新潟の小千谷で河井は嘆願書を持って新政府側と会談するも
現れた新政府側の男が若造で話にならず決裂。
長岡藩は結局旧幕府側となり…河井は落命するのですが。

小説を読んで河井が哀れであり
あと10年20年遅く生まれていたら
彼はどれだけすごいことを成し遂げたろうとか
会談の相手があんな若造でなかったらとか、
とにかく河井への思いが強かった私は
何年か前に長岡の河井継之助記念館に足を運んだ。

そこで展示されていた小千谷会談時の
涙なくしては読めなかった嘆願書。
(原文は私にはとても読めないが
 意訳がそばに書かれてあったから読めたのよ)
こんなのはいくらでもネットに載っているだろうと
旅から戻ってから検索したが
いくら探しても見つからずあきらめていた。

さて何年か経った数か月前(1月のこと)
偶然兄に連絡することがありLINEすると
「今長岡に向かっている」
というので、時間があったら記念館へ行って
嘆願書の写真が撮れたら取ってきてほしいと頼んだ。
結局写真はダメだというので兄は朗読してくれた。
兄も朗読しながら「泣きそうだ」と漏らした名文。
なんとしても文字にしたいと思い
テープ起こし(LINE起こし)して残しておくことにしたわけです。
そうしたら何年かぶりに検索して意訳を見つけてしまったよ。
兄の録音をもとにそちらも参考にしました。

プーチンさん、ネタニヤフさん、そしてトランプさんにも
ぜひお読みいただきたいです。
嘆願書は次のブログで。