2025/01/09

ちまたの子どもたちを見て不適切な自分を知る(?)

ちまたで遭遇する小学生に昭和の人間の私は驚かされる。
先日の朝、どうやらその日は今年初の登校日だったらしく
通学の小学生はどのような冬休みだったかを話していた。
その小学生は我が母校の子どもたちであったが
そんなに豊かなの?と耳を疑ったのだが今は普通なのだろうか。
ふたりともホテルで過ごしていたというのだ。
私立だし、そりゃ公立よりもお金がかかるから
それなりに豊かな家庭の子どもたちかもしれないが。
もしかしたらホテルで過ごすのは決して豊かな証でなく
庶民的な過ごし方になっているのか。私にはわからない。
我々の時代にホテルで正月というのはあったのだろうか。
年末の障子の張り替えとか、のし餅を切るとか
年始の墓参りとか親戚に挨拶に行くとか。
お年玉がもらえるかもという楽しみのために
せっせと働いたなぁ~って
そういうのは今はやらないの?
(そういえばホテル正月のうちのひとりは
「もう一日ホテルにいるつもりだったけど
 ママがばあばに怒られて帰ってきた」と言っていた)

私がレッスンに行っている音楽教室でのエレベータで。
バイオリンのレッスンが終って帰る母息子。
べた褒め母、まっそれはイイです。
でも楽器くらい子どもに持たせないのか、手ぶらだぞ。
お母さんはハンドバッグも買い物袋も持ってるぞ。
もう5年生くらいになっているから持てるだろに。
どこかにぶつけたら大変と思って母親が担いでいるのか。

そうか、子どもに驚かされたわけでなく
現代の親子関係に驚いているのですね、私は。
同じ日にスーパーでやはり小学生の男の子が
何かしてくれたらしく、母親がはちきれんばかりのうれしさで
「どうもありがと~ぅ⤴ 」って、そんな風に言うか?
というテンションであった。
まぁ得てして母親は息子には甘いですな。

私が見えているのはごくごく一部の幸せな母子だろうし
豊かな家庭の子女だとわかっているつもりだ。
自分の育ってきた境遇が私の判断の基本になりかねず
まったくそれが正しいと思ってもいない。
ましてや数十年の時代の違いがまったく違う価値観を生み出す。
でも『なんかおかしくないか?』はいつもくすぶる。
「不適切にもほどがあること」を言いだしそうだが
こんなタイトルが流行語になるのだから
もやもやと思っている人は多いのでしょうねぇ。
一方で多くのエリアに「子ども食堂」などが存在していることも
忘れてはならないのである。

2025/01/02

2025年穏やかな新年です。

晴天に恵まれて明けました新年。
おめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

毎年年末年始のテレビはまったく見るものがないので
(と言いながら流していることもあるけれど)
読書三昧、ハードディスクの録画鑑賞三昧。
毎年今年の1冊といえる本は選ぶのだが
2024年、選ぶことはできなかった。
読書量も何故か少なかった。
新聞の本の紹介欄はいつもチェックしているが
新刊本で感動的な本に出合うことなく
入院するから、通院するからと分厚い本を読んだが
とにかく大変だったなぁの感想しかない。
大江健三郎とふる~い松本清張の本のためか。
いずれも片づけをした親戚の書庫から持ち戻ったもの。
同じように叔父所有本でちょっとインパクトがあったのは
『散るぞ悲しきー硫黄島総指揮官・栗林忠道』(梯久美子著)
著者は私と同年代のノンフィクション作家
良く調べて書かれてあり、あえて選ぶならこれかな。
とにかく温泉も美術館も映画もあまり行かなかった。
何やっていたのかなぁ、私の2024年。

1月26日の日本・スペインギター協会の
第52回ニューイヤーコンサートに
青木一男先生との2重奏で演奏します。
11月にプロフィール写真を従兄弟に撮影してもらいました。
我が家に来てくれて何百枚撮影したのか不明ですが、
終ったころに現れた夫が「どのくらい修正できるの?」
「マイナス5キロ、マイナス10歳」
(このような会話がナチュラルになされた! なんだよ!)
というわけで
「マイナス3キロ、マイナス5歳」でお願いした。
(もう一人の従兄弟には、無理難題と言われる)
私の自慢の(?)従兄弟でして心優しきハンサムボーイ
あっ、もうまったくボーイではないですね。
シルバーです、シルバー。
広尾のイタリアンLa Bispocciaの写真やコラムも手掛けています。
このブログの写真はもちろん
ホームページやfacebookのプロフィール写真も変更した。
今までのじゃ詐欺だったものね。