日が短くなり、空気が涼しくなり急速に秋が来た。
湿度もグッとさがってさわやかな日に
長袖のTシャツとかカーディガンを出して
夏物と入れ替えたのだけれど
今年は一度も袖を通さなかった夏服がかなりあった。
これもコロナで外出することが少なかったからだ。
ワンピースとか羽織るカーディガンとか。
JRに乗っても40分以上乗ることもないので
猛暑の中電車に乗って冷えて困ることなく
カーディガンは羽織らなかった。
スカート大好きだけれど
ふだんギターを構えるのでズボン
あっ、ちがう、パンツスタイルが多いので
ひざ丈くらいのスカートやワンピースは
コロナでなくてもあまり着られないのだが
本当に今年は着る機会がなかったわけだ。
もともとオシャレではなく
着る服にこだわりがあるほうでもない。
着ていく服を選ぶのは女の楽しみの一つかと思うが
私はどうやらその部分、うまく教わらず育たなかった。
洋裁が得意だった母はパンツ、肌着、靴下
それ以外はスリップ(今でもスリップと言いますか?)も
裾に気に入ったレースをつけた手作りであった。
私はいつも出来たものが着せられるだけなので
服を買いに連れて行かれた記憶がない。
おまけに小学生のころから制服であったから
目の前にある与えられた服を身に着けるだけで
選ぶ楽しみが上手に育たなかったようだ。
母が私にオシャレさせたくて作ってくれていたので
決して私がオシャレだったわけではないのだ。
今作っているこの服は今度の親戚の集まりとか
誰かさんのところへお呼ばれするときに着るとか。
だからかろうじて学習できたことがあるとすれば
服を選ぶとき「晴れ」があるということ
(「晴れ」と「け」の「晴れ」ですね)
どんな方と会うのか、つまり相手に失礼でないか
ということをを考えなくてはいけない
ということだろうか。
今は昔と違って生地の素材が安いからなのか
実際服も安く長くもたない気がする。
デザインの流行り廃りもあるから何年も着ないのだろう。
大切に洗って虫にくわれないように保管するとか
革靴は学校から帰ってきたらブラシをかけるとか
そういった日々の手入れが大切だったが
近年はそういうもにが日常身の回りに少ないから
今の子どもたちは教わることはないのだろうか。
だいたい今の子どもの親たちだって
そんな習慣もなく親になってるかもしれない。
必要ないのか? ないのかぁそういうこと。
あらら、話がどっかへ行ってしまった。
夏服のお話でしたのよ。
着なかったけれど一応手洗いして仕舞いますよ。
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