2024/06/13

昔の人の残したもの

法隆寺金堂は1949年に火災にあっているのだが
その焼損部分から創建当時に書かれた「落書き」が
天井板から見つかったというニュースが先月末あった。
数年前には大徳寺方丈解体修理中に、
屋根を支える垂木と板の間に建立時に使ったと思われる大工道具の
「のみ」が発見されたということがあった。

法隆寺の落書きは以前もいろいろ見つかっていたよう。
この「のみ」は発見された2022年当時いろいろ想像された。
単なる忘れもの、というのがひとつ。
だが意図的にという説に私は興味をひかれた。
魔除けというのもあるのだが、もう一つが「未完の成就」
ということを書いたテュービンゲン大学同志社日本研究センターの
山村孝一氏の日経新聞に掲載した記事(2022年11月23日付)
これが今も手元にある。

「月満つれば即ち虧く(かく)」という言葉が「史記」にあるそうで、
物事は盛りに達すると必ず衰えるという意味。
吉田兼好も徒然草に「~内裏造らるるにも、必ず、
造り果てぬところを残す事なり」と書いているそうで
建築は完成の一歩手前で留めておくのが長持ちの秘訣。
そんな考え方がどうやらあったらしいというのだ。
そういった例は各地で残っていて有名どころでは
修学旅行で奈良の大仏様のくぐれる柱もその一つとか。

いやいや、なんだか楽しいお話である。
残されているものに古(いにしえ)の人が確かにそこにいた、
と感じさせられる、そんなことが私はなんだかとても好きだ。
古い建築物、古い絵画、古い本など。
ただの歴史的建築物、博物館や美術館の展示物として
凄い建物だね、いい絵だねぇなどと浅はかに眺めるが
こういう話をたまに目にしたりすると古人の息遣いが感じられる。

数か月前に「人の本棚って楽しい」というブログに書いたが
施設に入居の叔父の本棚から数冊選んで持ち戻った本を開くと
そこには叔父のメモや新聞の切り抜きが挟まっていることが多く
叔父がこの本に興味を持った経緯を垣間見ることができ
それは私にはすっごく小さなプレゼントをもらったような
そんな発見で楽しいのである。

その叔父の家の売却が急遽決定し、今月は大片づけに追われる。
これが終っても住民票の移動とかいろいろある。
考えるだけで、考えないでおこうと思える。。。